2021.3.13

喜寿で日本百名山踏破

「山から力、まだまだ登る」

 甲府市元紺屋町の石原忠治さん(77)は、喜寿の年に日本百名山を踏破した。11歳で富士山に登って以降、山登りの魅力にとりつかれ、会社員生活の傍らで国内外の高山に挑戦。退職後は百名山制覇を目指し、66年間かけて達成した。日課は100回のスクワット。「山からは力をもらえる。まだまだ登り続けたい」と語る。

 小学5年生の時、高校山岳部の顧問をしていた叔父に連れられ、富士山に登ったのが登山の始まり。中学2年の際、同様に叔父と北アルプスの槍ケ岳(3180メートル)に登頂した。「ひたすら歩みを進めると、体は疲れても心にエネルギーがたまるように感じた。自然と登山にはまった」と振り返る。

 山梨大の学生だった時期、県内企業に就職後も、週末や長期休暇を利用し、友人や職場の同僚らと国内の山に登り続けた。家族とも親しみ、1989~2000年にかけては長男と、富山県の剣岳(2999メートル)や南アルプスの仙丈ケ岳(3033メートル)など複数の山に登頂。妻の故好子さん(享年64歳)とは生前、北アルプスの白馬岳(2932メートル)や富士山に登った。「山にはそれぞれ、家族や仲間との大切な思い出が残っている」と感慨深げに話す。

 退職後の約10年前、これまで登ってきた多くの山が日本百名山に位置付けられていることを意識し、踏破を目指した。最後は昨年10月、百名山の浅間山が入山規制中のため、その外輪山に当たる黒斑山(2404メートル)に登り制覇とした。06年以降はマレーシアのキナバル山(4095メートル)、アフリカ最高峰のキリマンジャロ(5895メートル)など世界各地の高山にも順次、登頂してきた。

 石原さんは「体力には自信がある。景色、空気を楽しみながら、これからも山を歩きたい」と話している。

(1970年1月1日付 山梨日日新聞掲載)

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