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2018.3.05 所属カテゴリ: 山日紙面で見る富士山 / 3月 /

押し出す雪しろ 富士山麓に50年来の被害

 富士山ろく地帯は去る28日から3月1日にかけて豪雨のため、雪しろがおし出し、数回の土砂崩壊もあってバスの運行不能の路線も出たほどだったが、このために忍野村忍草地内、中道両側十町歩、山中道両側20町歩へは富士山ろくからの火山砂土が押し込み、熟畑を完全に荒らし、この30町歩のうち、約10町歩は麦畑だったが、土砂に埋まってしまった。またこの雪しろのために桂川筋水田約3町歩にも土砂が押し込み、床上浸水10戸、床下30戸という被害があった。

 3日、中村地方事務所農地課長一行が現地調査を行い、4日には村役場に天野台策、大森豊明氏らが集まって善後策について協議、県に陳情する手はずをすすめているが、この雪しろの被害は50年来のことだと両氏らは次のように語る。

 「間作桑園だった地帯まで植林したために雪しろの心配は少しもなかったが、演習地とするために広い地域を伐採し、引き続いて梨ケ原一帯には開拓団が入り込み、また村内でも農地法による未墾地として平地林を広く伐採開墾したために雪解け水がどっと押し出してきたもので、乱伐による被害の恐ろしさがよく分かった。毎年このようでは困るのでなんとか対策を講じたいと思っている」。【当時の紙面から】

(1951年3月5日付 山梨日日新聞掲載)
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