自動車にて富士登山
20馬力の自動車を走らせて世界周遊を企て、去る14日横浜に入港した大旅行家、米国ミシガン州デトロイト市自動車会社ハップモビル社重役ドレーク、ハンロン両氏は風光る好晴の日を選び自動車で秀麗な富士山頂に登ることを企画し、我が国観光の印象を深めようと決した。
35度の傾斜 ドレーク氏等の空前の快挙について東京自動車会社石井重役らは1台の自動車を捧げ、彼ら富士山頂登山の支援をすることを決めた。東京自動車会社の自動車もハップモビル社が製作に係り、ドレーク氏の自動車と馬力トン数、速力は相等しく「姉妹自動車」ともいわれ、ことに東京自動車の運転手は静岡県下の出生で、幼少の時代より数回の富士登山を試み、山頂山下の道中ともに明るい。自動車は巧みに35度の傾斜を突破できて、ドレーク氏の自動車は既にマニラのバンコイック山6000尺の険しい所を苦もなく登ることができた経験があり、富士登山にも成功するだろう。
1日をもって出発 ドレーク氏はいまだ鎌倉、江の島の観光に日も足りないのか、美しい海岸の間を自動車でめぐっているが、東京自動車会社では既に先発として石井重役らが31日午前10時30分に東京を出発し、本県吉田口に向った。
危険なる企図 一行の自動車は甲武鉄道に沿って八王子から小仏の険しい所を越え鳥沢に出て上野原から猿橋大月に出て吉田に向かい、ここでいろいろな準備を整え、ドレーク氏の到着を待つ予定である。ドレーク氏らは1日東京出発のはずであるので、富士登山の壮大な計画の幕は2日ごろに開かれるはずだ。もしひとたび自動車に故障を生じる時は、千尋の谷間に墜落する危惧もないとはいえないが、一行は勇気凛然として山頂に達するのがたやすいと思い、自動車を1万2000尺の富士山頂に車を駐める心地よさを想像しているとか。【当時の紙面から意訳】
(1911年6月2日付 山梨日日新聞掲載)