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2019.1.05 所属カテゴリ: 山日紙面で見る富士山 / 1月 /

初爆発は河口湖畔 富士山噴火に新説

 富士山の噴火は、船津口5合目小御岳の爆発が最古のものと学術的には公表されていた。だが、今度は河口湖畔が富士噴火の震源地だという興味ある新説が飛び出して、正月の話題をさらっている。

 これを発表したのは、富士レークホテルの経営者井出公済氏。河口湖畔船津浜の溶岩流は富士の爆発によってできたものだが、湖畔に噴火口あとに似た溶岩地帯があるので、20年ほど前からこっそり調べていたもの。同氏は「河口湖畔は噴火口に間違いない。富士の爆発は河口湖畔が震源地となって上に伸び、側火山を爆発させて最後に頂上の噴火となった」と語っている。

 20年ほど前、ハワイで宝石商をやっていた高桑与一氏(東京出身)が河口湖畔を訪れた際、船津浜の溶岩流がハワイ列島の海辺近くにある噴火口跡とそっくりだと井出氏にヒントを与えたことからこの研究が始まった。現場はレークホテル西側の湖畔に面した約20メートル四方の場所で、

 (1)溶岩が急に冷却した場合は、岩石の中が多孔質のものであるのに、現場の溶岩は湖辺にありながらチ密質の岩石である(2)現場は溶岩が割れ、噴火口の原型をとどめている(3)今まで船津に15カ所ほどこれに似た噴火口らしきものがある-などの理由から新設の発表となったが、御坂山岳会長の伊藤堅吉氏もこの研究に加わっている。また昨年9月、富士山麓を訪れた国際地理学界のハンスアールマン氏も現場を見て、そういう点もあるかも知れないと語っていたという。

 現地は数年前、約2000坪の露天温泉場を作る計画を進めていたところだが、もし地質学上調査を必要とする場合は発掘困難となるので、工事を断念して現在に至っている。

 また富士の基底溶岩は河口湖の中心部で御坂層の岩石と入りくんでいるが、約20メートルほど下の溶岩と丘の上の溶岩質がこんなに違っているのは珍しい。

 また丸井口、外川口など五つの排水抗を、むかし秋元但馬守が作って湖の増水を防いだ古事(甲斐国志)によると、現地は当時湖中にあったので、この部分だけチ密質の溶岩があるのは、明らかに高温度の熱変化か爆発があったものだ、と関係者は推定している。 【当時の紙面から】

(1958年1月5日付 山梨日日新聞掲載)
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