終幕おろす夏山 どこも空前の人出 富士へ“一生の記念に”組も
六根清浄で明け暮れた富士登山も、今月26日富士吉田市上吉田で催される“火祭り”を最後に夏山を閉じる。7月1日のお山開き以来ずっと快晴に恵まれたお山は、戦後最高の人出を見せ、一方富士五湖も近年にない猛暑が好結果をもたらし、キャンパー、遊覧客ともこれまた新記録を作り、観光業者をホクホクさせた。一方南アも、この2カ月間にざっと12万人以上が登山し、昨年の2倍以上。富士山と南アそれに大菩薩、三ツ峠などをひっくるめた県内夏山の登山者は、実に25万人を超えるだろうといわれ、五湖その他の遊覧キャンプ客も、ほぼ同数と見て合わせて50万人、山と湖は空前の人出で賑わった。
【富士山】 昨年は7月20日ごろまで梅雨に見舞われ出足は悪かったが、今夏は山開き以来好天候に恵まれ、暑さも手伝って都会人を山や湖に追いやり、8月中旬ごろまでは各地ともごった返し大変な賑わいを見せた。麓鉄調べによる富士登山客数は、船津口がざっと5万1000名で吉田口は3万1900名、昨年に比べ3500名ほど増えた。吉田口が僅か500名足らず増えたのに対し船津口は3000人近くも増え、7月24日のピークには船津口だけで実に5213名が登山し、バスの運転回数は5合目まで延べ120回に達した。台風襲来の余波を受けてお山が荒れ、2、3日急減した日を除き7月中は連日外国人や娘さん、家族連れ、富士講信者たちで賑わった。青年たちの健脚組が案外少なかったが、関西や九州方面からわざわざ「一生の記念に」と富士登山した人もいた。山に馴れないものも登ったせいか、転落や道に迷うなどの事故も5合目駐在所の話では案外多かったと言う。山舎業者の話では貸し切りバスなどでの入麓登山を加えれば10万人は下るまいと、登山者の多かったことを認めているが、金詰まりを反映してか食事付きで小屋へ泊まった客は少なく、食料持参組が案外多かったそうだ。
【五湖】 30度は超えないという岳麓も今年はついに最高32度に達し、バンガローやケビンの中もうだるような蒸し暑さだった。遊覧客も含めた今夏の避暑客は30万2100名で、岳麓はじまっての最高記録をあげたが、7割をキャンプ客と見てざっと21万人、まさに富士五湖はキャンプ王国を現出した。昨年に比べ約3万人の増で、山中、河口湖畔を筆頭に精進、西湖、本栖湖畔とも土曜日ともなればキャンプ場は何処も超満員の盛況。予約してないキャンパーが夜になって宿を探し歩いたという話も山中湖畔であったほどで、学生、一般、家族連れ、団体などのキャンパーが殺到、中には自家用車を乗りつけての豪華組もあった。この反面、強盗、恐喝、傷害などを働き当局へ検挙された少年も20数名おり、キャンプ場が犯罪の温床になる傾向も一部に見られ注目されている。静寂と自然の風致を求めるキャンパーが西へ移動し、西湖の根場集落にあるキャンプ場が今夏は案外賑わい精進、本栖方面への希望者も昨年より増えているが、やはり閑散な場所より混雑した方が若い人たちからは好まれている。
【南ア】 韮崎市、穴山、日野春、長坂の各駅から下車した南ア登山客を韮崎市観光課で調べたところ、7月1日から24日まででざっと12万2000人、昨年に比べ2倍以上に増加した。最盛期の8月5、6日ごろは日に2000人も登山、甲斐駒や鳳凰の頂上まで人の行列という賑わいぶり。山小舎も超満員で野宿組も相当あったといわれ、ここも今までの最高の人出、地元観光機関の宣伝と山の魅力、天候などが好調の原因だった。一方遭難は大日沢と甲斐駒の2名のみ。南アでは夜叉神峠が最高の登山者数を示し、最盛期には日に4000人登ったといわれる。金峰、みずがき山も7、8月に約7万人。韮崎市観光課では夏山を振り返って「山小舎の増築を直ちに県に陳情して、実施しなければならない。また今度の遭難で痛感したことだが、捜索隊のチームワークがとれていないこと。これを防ぐには県が音頭をとって、全県的な遭難救助の団体を早急に結成して欲しい」と言っていた。【当時の紙面から】
(1955年8月26日付 山梨日日新聞掲載)