鎌倉往還の番所再現
山梨県山中湖村の山中区が、かつて鎌倉往還の関所だった同村山中の山中口留(くちどめ)番所跡を観光用に整備。番所跡に残されていた敷石や関主だった大山氏が建てた庚申(こうしん)塔周辺を整備し、観光客が訪れやすいようにリニューアル。
山中区などによると、入り口正面には往時のイメージを再現して作った木製の門を配置し、奥側には番所の建物に使われたとみられ、現存する敷石を並べた。
入り口付近に建てられた庚申塔は、幕末期の万延元(1860)年に番所の関主を務めていた大山氏が建立。地元では4カ月に1度「申の日」に、大山氏をしのぶ庚申講が開かれているという。
山中口留番所は甲斐、相模、駿河の国境に位置し、戦国・武田氏の統治時代に置かれたとされる。番所の記録が残るのは、1704年に大山政右衛門が関主になった時だという。大山氏はその後、166年間にわたって関主を世襲した。
江戸時代には、江戸への鉄砲の持ち込みや人質として江戸で生活していた大名の妻子が逃亡しないように見張った。箱根の関所に次ぐ厳しさだったという。
山中区などによると、入り口正面には往時のイメージを再現して作った木製の門を配置し、奥側には番所の建物に使われたとみられ、現存する敷石を並べた。
入り口付近に建てられた庚申塔は、幕末期の万延元(1860)年に番所の関主を務めていた大山氏が建立。地元では4カ月に1度「申の日」に、大山氏をしのぶ庚申講が開かれているという。
山中口留番所は甲斐、相模、駿河の国境に位置し、戦国・武田氏の統治時代に置かれたとされる。番所の記録が残るのは、1704年に大山政右衛門が関主になった時だという。大山氏はその後、166年間にわたって関主を世襲した。
江戸時代には、江戸への鉄砲の持ち込みや人質として江戸で生活していた大名の妻子が逃亡しないように見張った。箱根の関所に次ぐ厳しさだったという。
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