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富士山世界文化遺産・構成資産『河口浅間神社』

 山梨県富士河口湖町。864(貞観6)年から866(同8)年にかけて「貞観噴火」が起き、噴火を鎮めるため865年に建立された、山梨県側で最初の浅間神社と伝えられている。

 現在も富士山と密接に結びついた宗教行事が残っている。富士山の噴火を鎮めるために行われてきた伝統芸能「稚児の舞」はその一つ。毎年4月の例大祭、7月の太々御神楽祭で地元女子児童が舞を奉納している。

 かつては甲府盆地から続く御坂道の宿という役割も兼ねていて、富士登拝が大衆化した16世紀ごろには御師集落としても発展した。河口御師は最盛期には約140軒あり、長野や北関東方面から富士山へ信仰登山で訪れた人々で大いににぎわったという。ただ江戸時代に富士講が流行すると、次第に吉田の御師の存在感が増すようになり、河口の御師集落は衰退した。

 本殿、幣殿、拝殿は1607(慶長12)年に領主鳥居土佐守成次が再建したと伝えられ、今は本殿が町文化財になっている。境内はスギなどの木が立ち並び、うっそうとした雰囲気に包まれている。
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