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富士山世界文化遺産・構成資産『精進湖』

 山梨県富士河口湖町。16世紀後半に富士講の開祖とされる長谷川角行が水行したとされ、信者による修行「内八海巡り」でも巡礼地の一つに数えられた。かつては西湖とつながった「せの海」と呼ばれる大きな湖だったが、噴火で流れ出した溶岩で分離。富士五湖では最も小さい、面積0.5平方キロの湖となった。

 小さな湖ながら、海外との縁は深い。1895(明治28)年には来日した英国人ホイット・ウォーズが精進湖と富士山の美しさに感動し、湖畔の高台に県内初の洋式ホテル「精進ホテル」を建設。精進湖を世界に紹介し、観光開発の先駆けとなった。

 昭和天皇が皇太子時代に渡英した折、英国王室から「ショージ・レーク」について問われたというエピソードも残っている。

 日本人だけでなく外国人も魅了した景観は古くから、観光絵はがきの題材にも使われた。北西岸からは、富士山の麓に大室山が重なる「子抱き富士」が見えることから、今も人気の撮影スポットになっている。
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