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2019.9.01 所属カテゴリ: 富士山噴火に備える / 防災キーワード /

火砕サージ

 山梨検富士吉田市小明見から出土した上中丸(かみなかまる)遺跡の縄文時代中期~後期の地層に、富士山噴火の火砕流に伴う熱風の跡があることが2011年11月、都留文科大の上杉陽名誉教授(地質学)の分析で分かった。

 火砕流に伴う熱風は火砕サージとも言われ、火口から地表に沿って秒速100メートル近いスピードで一気に広がる。非常に高温なため熱死したり、火災が発生したりする。1991年の長崎県雲仙・普賢岳噴火では、火砕流の熱風で43人の死者、行方不明者が出た。

 火砕流に伴う熱風の跡が見つかったのは、富士吉田市と帝京大山梨文化財研究所が発掘調査した遺跡。約3500~4000年前の縄文時代後期と、約4500~5000年前の縄文時代中期の層から、火砕流の熱風で飛ばされた細かい砂の層(火砕サージ層)と、火山灰の層が出土した。

 火砕流に伴う熱風の到達距離は火口から5キロ程度と考えられており、国などが2006年に作成した富士山火山防災避難マップでは、熱風が及ぶのは上中丸遺跡よりも7キロ手前までと予想。だが、縄文時代中期~後期は富士山の火山活動が活発で、噴火の規模が大きかったため、現行の避難マップでは「想定外」の小明見地区まで熱風が襲ったとみられる。

 内閣府防災担当によると、避難マップは富士山がほぼ現在の形になったとされる3200年前(縄文時代後期)以降の噴火を基に検討されたため、上中丸遺跡で出土した層の噴火は含まれていない。ただ、内閣府は東日本大震災を受けて、全国の活火山の被害想定や避難マップの見直しを検討している。
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