富士北麓地域に残る貴重な中世資料
戦国時代の富士北麓地方を中心とする地域の民衆生活史として第一級史料とされる「妙法寺記」と「勝山記」。
「妙法寺記」は、応仁の乱の前年の1466(文正元)年から桶狭間の合戦の翌年1561(永禄4)年までの約100年間の、富士北麓を中心とする地域の雪代や地震、火山などの気象現象、農産物の状況、富士山信仰などを記述、民衆の生活の様子を克明に伝えている。また戦国大名や郡内領主の小山田氏などの動きにも触れている。
「勝山記」は山梨県文化財に指定されており、前半部分に564年からからの古代の記述があるが、ほぼ同じ内容。「妙法寺記」との間で、どちらが原本かをめぐる学術的論争がある。
「妙法寺記」は、文政9年(1826年)に100部刷られた木版の活刻本が一部残っている以外は、明治時代に同活刻本をもとに作られた「続群書類従」の中の「妙法寺記」に頼るしかない。「勝山記」は冨士御室浅間神社に所蔵され、長い間「門外不出」とされてきたが、これも写本といわれる。
「妙法寺記」は、応仁の乱の前年の1466(文正元)年から桶狭間の合戦の翌年1561(永禄4)年までの約100年間の、富士北麓を中心とする地域の雪代や地震、火山などの気象現象、農産物の状況、富士山信仰などを記述、民衆の生活の様子を克明に伝えている。また戦国大名や郡内領主の小山田氏などの動きにも触れている。
「勝山記」は山梨県文化財に指定されており、前半部分に564年からからの古代の記述があるが、ほぼ同じ内容。「妙法寺記」との間で、どちらが原本かをめぐる学術的論争がある。
「妙法寺記」は、文政9年(1826年)に100部刷られた木版の活刻本が一部残っている以外は、明治時代に同活刻本をもとに作られた「続群書類従」の中の「妙法寺記」に頼るしかない。「勝山記」は冨士御室浅間神社に所蔵され、長い間「門外不出」とされてきたが、これも写本といわれる。
広告