地名の由来は?=旭日丘(あさひがおか)
山梨県山中湖村。山中湖の南側の中央にある。
1932(昭和7)年、熊本県出身の思想家で「民友社」の設立者でもある徳富蘇峰が向切詰(むこうきりつめ)を旭日丘と名づけたことに始まる。蘇峰自身も旭日丘地区に「双宜荘」を建て、代表的な著書「近世日本国民史」もここで執筆した。
古く鎌倉街道が籠坂峠口へかかるところで、東海地方から人的、物質の交流がここを通って甲府、郡内へ及んだ。いわゆる沼津往還の分岐点であった。
なお、蘇峰は山中湖で毎年8月1日に開かれる「報湖祭」の名付け親でもある。
1932(昭和7)年、熊本県出身の思想家で「民友社」の設立者でもある徳富蘇峰が向切詰(むこうきりつめ)を旭日丘と名づけたことに始まる。蘇峰自身も旭日丘地区に「双宜荘」を建て、代表的な著書「近世日本国民史」もここで執筆した。
古く鎌倉街道が籠坂峠口へかかるところで、東海地方から人的、物質の交流がここを通って甲府、郡内へ及んだ。いわゆる沼津往還の分岐点であった。
なお、蘇峰は山中湖で毎年8月1日に開かれる「報湖祭」の名付け親でもある。
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