地名の由来は?=明見(あすみ)
山梨県富士吉田市内の旧村。「明見」という地名をめぐっては、富士山が噴火した時、煙がひどくものが見えなくなり、「明日になったら見よう」という意味で名付けられたという伝説が残っている。かつてこの地域を「阿曽谷」と言い、湖を「阿曽海(あそみ)」と言ったものが「あすみ」に転じたという説もある。
1594(文禄3)年の検地帳には明見とあるが、江戸時代には大明見村と小明見村に分かれ、大明見は鳥打峠のふもとにある古屋から1684(貞享1)年ごろ移住したもの。また小明見は大明見村から分かれた村で、古屋と新田に分かれる。
1875(明治8)年1月19日、両村が合併して明見村となり、1948(昭和23)年明見町を経て1951(昭和26)年3月隣村と合併して富士吉田市をつくった。機業と農業を中心とする集落で、桂川に沿っている。
1594(文禄3)年の検地帳には明見とあるが、江戸時代には大明見村と小明見村に分かれ、大明見は鳥打峠のふもとにある古屋から1684(貞享1)年ごろ移住したもの。また小明見は大明見村から分かれた村で、古屋と新田に分かれる。
1875(明治8)年1月19日、両村が合併して明見村となり、1948(昭和23)年明見町を経て1951(昭和26)年3月隣村と合併して富士吉田市をつくった。機業と農業を中心とする集落で、桂川に沿っている。
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