180年前のコイ奉納碑発見
山中湖 村文化財指定を検討
南都留郡山中湖村で、180年前のコイ奉納の記念碑が見つかった。秩父地方の富士講が山中湖にコイを奉納した際に建てたもので、碑を発見した郷土史研究家の同村山中、保養所経営椙浦一布さんらは「富士講の研究上、価値が高い。また、山中湖への魚の放流の一番古い資料だろう」として6日、同村教委に文化財に指定するよう申し入れた。
椙浦さんらは昨年、都留市に保存されている南都留郡連合教育会発刊(昭和13年)の「南都留郡郷土史」を調べていたところ、同村山中の浅間神社入り口にコイ奉納碑があることが記載されていた。コイ奉納碑は郷土史研究家の間でもほとんど知られていなかったため、椙浦さんと同村山中、キャンプ場経営高村卓治さん、同所、山中湖漁業組合長高村利明さんの3人が、昨年12月22日に浅間神社に出向き、碑を見つけた。
碑は浅間神社参道の両側に横倒しになって埋まっており、半分ほどが地表に出ていた。地中の部分は黒ずみ、地表に出ていた部分はコケが生えていた。碑は高さ87センチ、幅21センチの直方体で、秩父山系のみかげ石らしい。碑の中央で上、下に2つに割れている。前面には「奉納鯉」側面一方に「中雁丸由太夫」他面には不明の4字、背面には「享和元年」と刻まれていた。
「南都留郡郷土史」によると、中雁丸由太夫は富士吉田市の御師で、埼玉県養土村(現大里郡寄居町)を中心とする富士講の宿を経営。享和元年(1801)に富士北麓に来た富士講たちが、山中湖にコイを放した際のものと説明している。
椙浦さんは「富士山信仰のひとつとして山中湖にコイを放したのだろう。山中湖では江戸時代から放流が行われたといわれるが、これほど古い資料はないと思う。富士講の人たちがコイをどのようにして運んできたのか興味深い。寄居町と連絡を取って調べたい」と話している。
椙浦さんから6日、報告を受けた同村教委は「早速、文化財審議委員を集め、文化財の指定を検討したい。いずれは碑を湖畔の近くに移し、多くの人たちの目に触れるようにしたい」と話している。 【当時の紙面から】
(1982年1月7日付 山梨日日新聞掲載)