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2022.8.10 所属カテゴリ: 山日紙面で見る富士山 / 8月 /

芥川「富士山」の原稿購入

全集未収録、旧制一高時代の作か 県立文学館 来月29日から企画展で公開

 「われ 富士を見るごとに思い出すはこの幼き日の富士」-。県立文学館(紅野敏郎館長)は9日までに、作家芥川龍之介(1892-1927年)が旧制一高時代(1910-13年)に書いたとみられる作文「富士山」の原稿を購入した。購入額は173万3000円。全集にも未収録の資料で、若き芥川の心情を探ることができる内容という。

 同文学館によると、「富士山」は、「高等学校作文用紙」3枚に筆で書かれている。いつ書かれたのかははっきりしないという。

 原稿は「わが五才の昔なり 母に背負はれて日本橋のほとりなるなにがしの商家に雛祭の客となり…」と書き出されている。続いて祭の様子と、座を抜け出して日本橋から眺めた富士山を描写。「されど我うれしかりしはかすかに紫だてる弥生の空にほの白き富士の山の姿を見出でし時なれげにその雪の色のいかにさやかなりしよ」と、富士山の美しさをたたえている。

 この後、江戸時代の人々が眺めたのもこのような富士山の雪ではないか、と思いをはせ、成長してから富士山ろくを訪ねたことなどを記している。最後は、富士山を見るたびに思い出すのは、五歳の時に見た「この幼き日の富士 幼き日の快き追憶の夢なり」などと結んでいる。

 芥川の資料を収集している同館は「富士山を題材にしていて、山梨と関係深い資料」と位置付けている。紅野館長は「富士山」について、「芥川の『雛』(1923年)という作品を思い浮かべた。『富士山』には母や富士山のイメージ、それに江戸のにおいがミックスされていて、芥川文学を考える上での手がかりがある」と話している。同館は、9月29日から開催する秋の企画展「富士百景-その文学と美」で公開する。 【当時の紙面から】

(1994年8月20日付 山梨日日新聞掲載)
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