祝 富士山 世界文化遺産登録
富士山を見る幸福 林真理子さん特別寄稿
昔、四国の人から初めて富士山を見た感動を聞いたことがある。旅行に行きバスの窓から富士山の姿を眺めた時、涙がポロポロと止まらなくなったという。
この話を聞いた時、少々大げさと思った私。富士山は家の窓を開けさえすれば、いつでも見られるものだったからである。が、それはなんという贅沢なことであったろう。富士山を身近で見て成長する、などというのは、山梨か静岡の人間に限られるのだ。それも地域によって見られない場所もある。
「富士山を見る」ということは特別なことだということを、私は東京で知った。今も都内のいたるところに「富士見坂」や「富士見町」という地名がいくつも残る。先日テレビのニュースを見ていたら、やはり東京の某所に「富士見坂」があり、実際に富士山を見ることが出来るという。しかし近々、その坂の前には高層マンションが立ち塞がることになった。その建物が出来ると富士山は見えなくなってしまう。反対運動をしても無理だった。それで地域の人たちは折を見て集まり、その坂の上から富士山を眺める、という内容だったと思う。胸がつまった。そこに住む人たちにとって、富士山が見えるということは心の拠りどころだったに違いない。
それほど富士山というのは特別なのだ。神が宿る山と言われる。まず形が美しい。完璧な形をしている。そして色の美しさといったらない。雪をいただいた富士山の青と白のコントラストは、息を呑むほどの清々しさだ。夕陽に染まった赤い富士も素晴らしいし、夏のそっけないくらいシンプルな姿も大好きだ。
といっても私は麓にバスで行ったぐらいで、富士登山をしたことがない。なぜかしたいとも思わない。これも毎日富士山を見て育ったせいだろう。富士山は征するものでなく、たえず近くで感じているものだからだ。
ところで富士山を描いてみて、と言われて描けない日本人はまず一人もいないだろう。みんな長めのなだらかな台形をいっきに描き、そうしててっぺんに雪をのせる。これだけで富士山とわかる。日本人ならば誰でもわかる。誰でもが認識している形というのは、富士山しかない。
エベレストが世界一高くても、絵に出来る者が何人いるだろうか。
富士山の形は単純で明快で、誰でも自分だけのシンボルをつくり出すことが出来る。シンボルだからその形は一生揺るぐことはないのだ。
こんな日本人の心情をどこまで理解してくれるか不安だったが、世界が認めてくれることになった。富士山の形状的な美しさもさることながら、日本人の富士山への愛情に心うたれたに違いないと私は思う。
はやし・まりこさん 作家。1954年、山梨市生まれ。日川高-日大芸術学部卒業。86年「最終便に間に合えば」「京都まで」で直木賞受賞。近著「野心のすすめ」もベストセラーに。
山梨ゆかりの人の談話
広報部長として寄り添う
漫談家 綾小路きみまろさん(62)=富士河口湖町在住
とにかく「やったー」という気持ち。私は世界遺産になったらいいなと願うだけで何もしておらず、これまでご尽力されたみなさんに心から感謝したい。もう20年以上住んでいて、富士河口湖町の広報部長を自称している。これからは世界遺産の広報部長として、麓の自然を守りながら、富士に寄り添って生きていきたい。
育ててくれた大切な存在
長野五輪スピードスケートで銅メダル 岡崎朋美さん(41)=富士急所属
長年多くの人に親しまれてきた美しい富士山が世界文化遺産に登録されたことを、とてもうれしく思う。富士山はスケート選手の私を育ててくれた大切な存在。自転車や登坂走、高所トレーニングによく利用しており、五輪前にもよく登った。今後も美しい富士山を守れるよう努めたい。
山梨側の富士アピールを
落語家 三遊亭小遊三さん(66)=大月市出身
富士は日本一の山ですから「今までどうして世界遺産にならなかったの」という感じ。富士山がいの一番になってもおかしくなかった。五百円札には、大月から見える富士山が使われていた。三保松原(静岡市)から見える富士山がポピュラーだけれど、山梨生まれの身としては、山梨側から見える富士もアピールしてほしい。
世界の宝を励みに努力
ロンドン五輪レスリングで金メダル 米満達弘さん(26)=富士吉田市出身
富士北麓に育った一人として、何よりもうれしく感じている。北麓のおいしい水や地元で採れた食材のおかげでいまの自分の体はできているし、ロンドン五輪の金メダル獲得につながったと思っている。富士山が世界の宝となったことを励みに、これからも世界で活躍できるように努力していきたい。
荘厳な景観に励まされた
ロンドン五輪競泳で銀メダル 鈴木聡美さん(22)=山梨学院大卒
福岡から山梨に進学して、その堂々とした姿に感動した。第2のふるさとの山梨ではいろいろな表情が眺められ、わくわくする。どこから見ても、しっかり「富士山」で、勇気づけられる。練習で疲れても、落ち込んだ時も、その荘厳な景観に励まされてきた。世界遺産登録は素晴らしいことで、心から喜びたい。
(2013年6月23日付 山梨日日新聞掲載)