怪力力士として活躍 青少年育成に尽力
青木ケ原樹海、鳴沢氷穴に象徴される雄大な自然の懐に抱かれた山梨県鳴沢村。歴史をひもとくと、スケール大きく人生を過ごした先人たちの足跡も光る。
南都留郡唯一の幕内力士富士ケ嶽孝一郎(本名・渡辺孝一郎)は、1931年に角界入り。身長191センチの恵まれた体格を生かし、長身の怪力力士として活躍。上手投げなどを得意とし、1938年1月新入幕、最高位は前頭3枚目。
同門の先輩・男女ノ川の太刀持ちを務めたほか、現役中から親方若港三郎として部屋の経営に参画。1945年11月に現役引退。引退後は年寄富士ケ根邦之佐として富士ケ根部屋を経営。弟弟子の東富士を横綱に育て上げた。1947年5月から1951年1月までは勝負検査役を務める。1975年1月、日本相撲協会を定年退職。
一方、1954年に相撲協会に近い東京墨田区に墨田みどり保育園を設立、「ガリバー園長」として親しまれた。このほか、相撲道場を開いて子供たちを指導したり、母校鳴沢小に図書や寄付を贈るなど、健やかな青少年の育成にも力を尽くした。
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