幻の道標復元 富士登山の起点
400年前、富士講者が利用
富士山山開きを目前にして、400年以上前に富士講者らに利用されていた登山道の道標が富士吉田市小明見で復元され、富士山信仰の地として開けてきた同市にとって歴史的に意義のあるものと話題になっている。
道標は富士山口の溶岩でつくられており、高さ約1メートル、周囲約1.5メートルの4面体。「右富士山道、左すん志う(駿州)ちかみちこあすみ道」と刻んである。
富士山の旧登山道は長野方面などからの信仰者の登り口として河口湖町の船津登山道、吉田口登山道、さらに江戸(東京)都留方面の信仰者の登り口として小明見登山道があった。今回道標が復元されたのはその小明見登山道で、都留方面からの鎌倉往還との分岐点に立てられたのがこの道標という。
小明見登山道は400年以上前には非常な隆盛を誇っていた。この小明見の分岐点から東町の愛染地蔵付近を通って、お茶屋町-滝道-古吉田(上吉田)-北口浅間神社へとつながっていたもので、現在あるこれらの町名もそれぞれ由緒があるという。その典型として「お茶屋町」が挙げられ、富士山信仰の登山者に旅の疲れをいやす茶をふるまう茶屋が多数あったところから名付けられたという。
ところが人々からこの登山道が忘れ去られてしまったのは、元亀3年(1573年)にこの地区に大規模な雪代があり、登山道はズタズタに寸断され、民家などが破壊されてしまってから。それ以後、この地域の中心が下から上に移り、現在の富士吉田市を形成するようになり、吉田口登山道に通ずる上吉田近辺が栄えていった-と市文化振興課では説明している。
この復元された道標は、戦後は確かに立っていたらしいが30年前から道路工事のために行方不明となり、関係者が捜していたが、このほど付近の農家の庭先で発見された。現在の小明見登山道はあぜ道のように細く、当時の面影はほとんどない。7月1日の山開きを前にして、かつて栄えた小明見登山道の起点ともいえる道標の復元は「市の歴史にとっても大いに意義がある」と話題になっている。 【当時の紙面から】
(1978年6月20日付 山梨日日新聞掲載)