パネルディスカッション
パネリスト
遠山敦子さん 新国立劇場運営財団理事長
中村吉右衛門さん 歌舞伎役者
山下泰裕さん 柔道五輪金メダリスト・東海大教授
コーディネーター
小田全宏さん 富士山を世界遺産にする国民会議運営委員長
-これまでの人生と富士山とのかかわり、「自分の富士山物語」を聞かせてほしい。
山下泰裕 富士山をみると、なぜか背筋がすっと伸びて、すがすがしい気持ちになる。富士山で一番素晴らしいと思うのはすそ野の見事さ、調和の取れた美しさ。私が世界に柔道を広げていく中で一番大事にしているのは戦う相手を尊敬すること。相手に対する尊敬の気持ちを表しているのが日本の礼法。「和の心」と、富士山の美しさ、調和のとれた姿は重なり合う。日本人が大事にしてきた「和の心」を広げていくことが世界平和につながると思う。
東海大は外国からの留学生、ナショナルチームの選手を受け入れている。ここ7、8年は「富士山に登りたい」「富士山を見に行きたい」という選手がとても多くなっている。外国でも富士山の美しさにひかれる人が次第に増えているのではないかと思う。
遠山敦子 幼いころは百人一首の「富士の高嶺に雪は降りける」の札を取ることが私のおはこ。なぜか、その札がほしかった。静岡市に移った中学以降は、富士山を正面から毎日見ていた。高校時代まで富士山はまさに私のあこがれ、生きるための目標のようなものだった。東京に移っても折々に富士山を思い出し「あの富士山に対峙(たいじ)でき、恥じることのない生き方をしたい」と思っていた。
文化庁長官時代は富士山の自然遺産登録に向けた動きがあったが、うまくいかなかった。永田町や霞が関の世界から退いた今、富士山は安らぎの存在。しかしこの運動に参加して以降は、富士山を見ると少し重荷にも感じる。再び安らぎの存在となるよう協力をお願いしたい。
中村吉右衛門 東京に生まれ、子どものころの昭和20年代は都内の富士見坂、富士見町といわれる場所から富士山が見えた。それが次第に見えなくなり残念だ。実父の白鸚はマンションから富士山を見るのを楽しみに生きていたが、あるとき、高いビルが建ってしまい、がっかりしていた。
東海道を舞台にした芝居では、背景に必ず富士山が描かれている。明治時代、日本に近代医学を伝えたドイツのベルツ博士は、富士山について誰にも冒されない威厳を持って海上からそそり立ち、われわれにあいさつをしている、と描写している。なぜ子どものころから富士山に親しみを持っているのかと思っていたが、ベルツ博士も言う通り、富士山には「威厳」と「親近感」の二面性があるのだと思う。富士山がいつまでもそんな状態でいれば、われわれも幸せなのではないか。
優れた文化は国境越える 遠山さん
身近な「愛」が活動の一歩 中村さん
「見えないもの」再確認を 山下さん
-それぞれの専門分野や道を通じ、これから先、富士山とどうかかわり、世界文化遺産登録を目指してどのように活動していくのか、抱負を。
山下 NPO法人柔道教育ソリダリティーを通じて世界の国々、特に貧しい国に柔道の支援することが私の活動の大きな柱の1つ。短パン、Tシャツ姿で練習していたり、同じ柔道着を着まわしたり、畳がなく砂場を利用していたり、指導者がいない国を支援している。活動を通じ柔道の心、日本の心を世界に伝えたい。世界の人たちに少しでも日本の「和の心」が伝わり、一層日本に関心を持ってもらえるように取り組んでいきたい。
遠山 約2週間前、米国ワシントンで開かれたジャパンフェスティバルで、日本のバレエ団が高い評価を受けた。優れた文化は外国人にも通用する。良いもの、美しいもの、精神性のあるものは、国境を越えて人々の心を打つんだとつくづく思った。
富士山を世界遺産にすることは結果として富士山を守り、保全することにもなる。だが活動で難しいことは多い。暫定リストには載ったが、富士山登山に例えると、まだ4合目の段階。困難は多いが、日本が経済大国であるだけでなく、文化の国であることを示し、日本人が精神的な高みを求める民族であることを証明するためにも、遺産登録はとても大事なことではないか。
中村 歌舞伎は400年の歴史がある。学校をまわり、この伝統芸能を通じ子どもに夢を持ってもらう活動をしている。歌舞伎はおもちゃ箱のような世界。実際に舞台で使う「馬」を学校に持っていき、子どもを乗せると、とても喜んでもらえ、歌舞伎という存在も初めて知ってもらえる。工作の時間もあり、今度は富士山も作ってもらおうと思っている。富士山を作ってもらい、その前でちょっとした歌舞伎芝居をやらせてみたいと思う。こうした活動は生きている限り続けていきたい。
われわれは先人を敬い、まねから始め、自分のものになるまで長い年月をかける。伝統を受け継ぐにはものすごく時間がかかるが、まねだけで終わってはいけない。西洋はまねが許されず独自なものが求められる文化。東洋はまねから始まるが、まねで終わってはいけない文化だ。
-富士山の世界文化遺産登録に向けて最後にメッセージを。
山下 運動をもっと大きなうねりにして、文化遺産登録を実現したいと思う。その中で、われわれ日本人が大事にしてきたが、見失いがちな「目に見えないもの」の大切さをもう一度呼び起こすことができればいいと思う。世界遺産に登録されれば、世界に「和の心」を発信することにもつながる。
遠山 実際に作業してもらうのは静岡、山梨両県や市町村の人たち。崇高な目的で活動しているので、少なくとも世界遺産登録に「反対」なんて旗は掲げないでほしい。活動への理解を深めてもらうことに加え、募金への協力や清掃作業など、皆さん一人一人が何をできるか考え、一歩ずつ、一緒に歩んでもらえればありがたい。
中村 「隣人から愛せよ」という言葉があるが、とにかく富士山など、身の回りのものを愛さなくてはいけない。汚しても、どうなっても構わないという考え方ではすべて終わりだ。自分を愛し、家族を愛し、地方を愛すということから始めると、大きな活動になるのではないか。
遠山 敦子(とおやま・あつこ)さん 1962年に文部省(現文部科学省)入省。文部科学相、文化庁長官、駐トルコ大使、国立西洋美術館長などを歴任。2005年に新国立劇場運営財団理事長に就任した。山梨、静岡両県でつくる富士山世界遺産二県学術委員会委員長。
中村 吉右衛門(なかむら・きちえもん)さん 八代目松本幸四郎(初代白鸚)の二男。祖父の初代吉右衛門の養子となる。1948年に初舞台。66年に二代目中村吉右衛門を襲名。84年度日本芸術院賞や2002年度芸術祭賞演劇部門大賞などを受賞。
山下 泰裕(やました・やすひろ)さん 現役時代、1981年の柔道世界選手権無差別級で優勝、84年のロサンゼルス五輪無差別級で金メダルを獲得するなど活躍。85年に現役引退。東海大体育学部教授、柔道部長。NPO法人柔道教育ソリダリティー理事長などを務める。
小田 全宏(おだ・ぜんこう)さん 東大法学部卒業後、松下政経塾に入塾、人間教育を研究。ルネッサンス・ユニバーシティ代表取締役。NPO法人日本政策フロンティア理事長。
(2008年3月19日付 山梨日日新聞掲載)