「中ノ茶屋」近く再開 富士山登山道
再建工事終わり7年ぶり 吉田口の復活に期待
富士山吉田口登山道を見直そうという気運が高まる中、再建が進んでいた同登山道第一の茶屋「中ノ茶屋」の工事がほぼ完了し9月上旬に営業を再開する。同登山道は県営富士山有料道路開通後、登山者が激減、沿道の茶屋も相次いで店じまいし、道路の荒廃が進んでいた。中ノ茶屋の営業は1987年夏以来7年ぶり。再建を進めてきた15代目の坂田健児さん(52)は「100年、200年と次代に受け継いでいきたい。中ノ茶屋が呼び水となってほかの茶屋の何軒かでも営業を再開してくれれば」と吉田口復活に期待を込める。
坂田さんによると、中ノ茶屋は1706年(宝永3年)の開業。前の茶屋は11代目が約110年前に建てたといわれ、木造平屋建てだった。かつては5合目までに22軒あった茶屋や山小屋が相次いで営業を断念していく中、中ノ茶屋は坂田さんの祖母が1987年まで営業していたが、病に倒れ、営業は一時途絶えた。
「歴史がある建物を一時は閉めたとはいえつぶすわけにいかない」。当時、坂田さんは東京でサラリーマンをしていたが「6人兄弟の長男として、自分が茶屋を継がなければならない」と感じていた。翌1988年、脱サラし家族とともに富士吉田市へ戻ってきた。
最近になって市や民間で「吉田口を見直し茶屋を復活させよう」との声が強くなり「いつか建て直さねばならないという思いと世間の気運の高まりが重なった」と坂田さんは話す。
昨年4月から再建準備に着手。場所が国立公園特別地域、特別名勝のため多くの手続きが必要になったが、今年3月末までに手続きが終わり工事に入った。
新しい茶屋は木造銅板ぶき2階建て、延べ床面積約200平方メートル。すべて杉の木を組み合わせたもので昔ながらの和風造りだ。
50人程度が飲食でき、15-20人の宿泊もできる。電柱が立てられないため電力は自家発電、井戸水を使用している。
坂田さんは「静かな自然に接しながら昔の茶屋の気分を味わってほしい。ここまで来れば歩いて富士山に登ろうという人も増えるだろう。寂しい登山道が少しはにぎやかになるのでは」と話す。 【当時の紙面から】
(1994年8月20日付 山梨日日新聞掲載)