旧石器研究の幕開けとなった遺跡
山梨県内最古の遺跡の一つ「一杯窪遺跡」。都留市東部の菅野川上流の傾斜地に立地、標高900メートル。
1978年から1982年まで行われた県有林内にある同遺跡の発掘調査で、2600点以上の石器類(ナイフ状石器、斧形石器などのほか縦長剥片や石核)を発見。これらが学習院大学による炭素測定の結果、3万1870年前の測定値を示し、当時日本における後期旧石器文化の最古の遺跡であることが、1986年に判明。それまで日本列島にはない石刃技法に近い剥片剥離技術がみられることから、大陸から伝えられた文化であるとの評価がある。
石器群の出土層も、富士山の火山灰層から約3万1000年前とされ、地質的にも同遺跡が後期旧石器文化の最古のグループによって営まれたものであることが裏付けられた。
また、石器を作っている技法が、縦長剥編や斜軸剥片の両方を伴っている点も大きな特徴といわれる。
石刃技法は大きな石を連続的に割って、小さな石器を作る方法。3万年前の人々は獲物を追って、その土地の石を使ったと見られており、この発見でもガラス質凝灰岩といわれる薄いグリーンの美しい地元の石が使われている。同遺跡は石器工房地ともみられ、一帯からは焼けた石や土も見つかっている。
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