富士講の歴史伝える御師日記
江戸時代に当時の上吉田村(現在の山梨県富士吉田市)で活動した御師の生活などがつづられた「橘屋勘右衛門日記」。富士講を迎えた記録などが記されており、富士山信仰の歴史を解明するための貴重な資料という。富士吉田市有形文化財。
橘屋は古くから続く御師の家柄で、著者は上吉田村の庄屋を務めながら医師としても活動した勘右衛門。日記は1667~1702年の出来事を91ページにわたって書いている。表紙には「大筒屋日記」とあり、ある時期に御師の筒屋に移ったと考えられている。
千葉県山武市や横芝光町から富士講を迎え住居を宿坊として提供したことや、勘右衛門自身が登山し、山小屋に宿泊したことなどを記述。60年に1度富士山の誕生を祝う「庚申御縁年」に当たる1680年には、参詣者が例年の数倍になったこともつづっている。
橘屋の家族構成や上吉田村の天候などを細かに記録。江戸にいる医師に弟子入りしたことや、診察に訪れた場所なども記している。
日記は筒屋から寄託されたふじさんミュージアムが管理している。同ミュージアムが編集した解説文なども発行されている。
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