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活動20年 目標「自然」から「文化」へ

国際会議の審査がヤマ

 富士山の世界文化遺産登録に向けた手続きは、山梨、静岡両県が27日に文化庁に推薦書原案を提出することで一つの区切りを迎える。民間団体が登録を目指して活動をスタートしてから約20年。当初目指した自然遺産から、文化遺産に目標を切り替え、ようやく国連教育科学文化機関(ユネスコ)の審査を受ける直前のステップまでたどり着いた。

 富士山の世界遺産登録活動は当初、自然遺産を目標としてスタート。1992年には自然保護グループでつくる「富士山を世界遺産とする連絡協議会」が発足し、署名活動を展開した。

 2000年には、旧文相の諮問機関である文化財保護審議会の世界遺産条約特別委員会が、「富士山を世界遺産候補として推薦すべきだ」とする報告書を同審議会に提出。登録に向けた手続きは順調に進むかと思われたが、03年に開かれた国の検討会で候補から“落選”した。山麓で開発が進んでいる現状がネックとなった。

 登録に向け、再始動したのが05年。自然美を背景に日本国民に与えた文化的影響に着目し、今度は文化遺産登録を目標に動き出した。政財界人らがNPO法人「富士山を世界遺産にする国民会議」(中曽根康弘会長)を立ち上げたほか、山梨、静岡両県も合同会議を設立した。

 ただ、作業は順調に進まなかった。文化的価値を証明するために必要な構成資産候補の選考で手間取り、当初目標に掲げた「11年度の登録実現」は断念。富士五湖の文化財指定手続きで必要となる権利者の同意取得にも時間がかかり、スケジュールを変更し、再出発から6年の年月を要した。

 27日の推薦書原案提出で今後の対応は国に委ねられる。早ければ、国は9月にユネスコの世界遺産委員会に推薦書の暫定版を、翌年2月までには正式な推薦書を提出する見込みだ。

 今後、手続きが順調に進んだ場合、「最大のハードル」(県世界遺産推進課)となるのが国際記念物遺跡会議(イコモス)の審査だ。今年6月、世界文化遺産に登録された「平泉の文化遺産」は2008年、イコモスの審査をクリアできず、登録延期になった経緯もある。

 県世界遺産推進課の担当者は言う。「今回、推薦書原案の提出は確かに一つの区切りだ。しかし本番は、むしろこれからだ」

富士山の世界遺産登録をめぐる経過
1992年12月 山梨、静岡両県の自然保護グループでつくる「富士山を世界遺産とする連絡協議会」が発足
1993年5月 同協議会が旧環境庁に富士山を世界自然遺産候補とするよう要望。その後、220万人の署名を添えて、衆参両院に請願
2000年11月 文化財保護審議会の世界遺産条約特別委員会が「富士山を世界遺産候補として推薦すべきだ」とする報告書をまとめ、同審議会に提出
2003年3月 世界自然遺産候補地として、国の検討会で富士山など17地域が浮上(4月に新たに2地域が加わり計19地域に)
5月 国の検討会で富士山が世界自然遺産の候補から落選
2005年4月 政財界人らでつくるNPO法人「富士山を世界遺産にする国民会議」が世界文化遺産登録を目指して発足
12月 山梨、静岡両県が合同会議を立ち上げ、世界文化遺産登録に向けた活動を開始
2006年11月 山梨、静岡両県合同会議が富士山の世界遺産暫定リストへの追加を国に提案
2007年1月 富士山を世界遺産暫定リストに登載
2009年1月 構成資産候補の見直しなどにより、当初予定していた11年度の登録実現を断念
2010年7月 富士五湖の文化財指定作業が難航し、推薦書原案の提出時期を1年先送り
2011年2月 富士五湖の文化財指定にほぼ全ての権利者が同意し、山梨県が富士五湖の文化財指定を文化庁に意見具申
5月 文化財審議会が文科相に対し、富士五湖を文化財(名勝)に指定するよう答申
6月 富士山ろくの北富士、東冨士両演習場を保全管理区域とすることに地元が同意
7月 山梨、静岡両県の合同会議が、文化庁に提出する富士山の推薦書原案を了承。推薦書原案に関する協議が全て終了
(2011年7月23日付 山梨日日新聞掲載)
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