誇りと文化 未来へ
観光と調和 険しい道 求められる保全の強化
【プノンペン山梨日日新聞=樋川義樹】世界文化遺産への登録が決まった富士山。「日本人の心のよりどころ」が「人類の宝」として認められ、世界中から注目されることになる。一方で既に「飽和状態」とされながら一層の増加が見込まれる入山者の規制や、山麓の開発抑制など地元が直面する課題は山積している。
登録直後の来月1日からの夏山シーズンをどう乗り切るかが喫緊の課題となる。例年20万人以上が利用する吉田口登山道は、登録を機に混雑に拍車がかかりそうだ。
登山者の殺到で思わぬ事故が起きたり、睡眠を取らずに山頂を目指す「弾丸登山」で体調不良者が続出したりするなど安全面の不安がある。登山道に与える負荷も懸念される。今夏、県は山頂付近の誘導員を倍増し、県職員が常駐する現地連絡本部を5合目に新設するなど対策を強化する。
だが、横内正明知事が「本来なら(入山者を規制する)法律改正や条例制定など抜本的な対策が必要だが、時間的に間に合わない」と言うように、準備不足は否めない。
山梨、静岡両県は今夏試行する入山料について来夏から本格導入する方針。入山料は環境保全対策に充てる方向だが、一方で入山者の抑制効果は疑問視されている。入山料徴収とは別に、入山者から遺産を保護する有効な手だてを打ち出す必要がある。
中長期的には、観光振興と保全の調和をどう図るかが重要だ。国際記念物遺跡会議(イコモス)は、富士五湖でのジェットスキーや動力船の運航が「平和な環境を害している」と懸念。山梨側で進む麓の開発についても「山麓の環境のために開発制御の強化が必要」と指摘し、ユネスコ世界遺産委員会の決議も支持した。
登録へ向けて、県が2011年に富士五湖を国指定名勝に登録する際「生活に支障が出る」とする地元の同意取得に時間を要し、ユネスコへの推薦書提出を1年先送りせざるを得なくなった。今後は、富士山を活用する以上に、富士山を守る視点が求められる。
政府は16年までに構成資産の保全状況をまとめた報告書をユネスコに提出する。国や自治体、住民が一体となり、世界中が納得する保全対策を打ち出さなければならない。
活動担い手 官から民へ
【プノンペン山梨日日新聞=樋川義樹】地元を中心に20年以上にわたる世界遺産登録へ向けた運動が実った。「世界基準」で富士山の環境や景観の保全、価値継承が必要となり、地元に求められる取り組みは新しい局面に入る。
富士山が「人類の宝」の称号を得るのと引き換えに、地元である山梨、静岡両県は遺産を守り、後世に引き継ぐ責務を負う。それは政治や行政だけでなく、富士山の恩恵を受け、心のよりどころとする住民一人一人の役割だ。
登録へ向けたこれまでの道筋は、文化庁や山梨、静岡両県、政財界人らが名を連ねる「富士山を世界遺産にする国民会議」など、政治や行政が主導してきた。
「世界遺産リストへの記載はゴールではなく、始まりだ」。川勝平太静岡県知事は世界遺産委員会で述べた謝辞で、こう表現した。文化庁の近藤誠一長官は「地元の協力なしに保全はできない。『世界に誇れる富士山とするためやるべきことをやる』という前提で、住民との粘り強い話し合いが必要」とし、保全活動の官主導から民主導への転換を訴える。
自然遺産候補から落選した理由の一つとなったごみの不法投棄問題は、地元住民が長年にわたり美化活動に取り組んだことで大幅に改善している。登録推進の過程で富士五湖を利用する観光業者らが適正利用の検討をするなど、自主規制の動きも出てきた。
「住民が世界文化遺産を抱えるエリアの住民として、小さなことからでも取り組みを始め、変わらなければならない」(富士河口湖町・「上の坊プロジェクト」代表の外川真介さん)。こうした地元意識は着実に芽生えている。
富士山保全へは、国や自治体、各種団体、住民の枠を超えた活動が必要だ。「富士山を軸に山麓地域のまちづくりをどうすべきか」。日常の中で、住民が富士山と向き合う場面を増やす取り組みが何より求められている。
「長年の思い現実に」 国民会議
2005年から富士山の世界文化遺産登録に向け活動してきた認定NPO法人「富士山を世界遺産にする国民会議」の中曽根康弘会長(元首相)は22日、登録の決定を喜ぶ談話を出した。
中曽根会長は「世界の人々に富士山の文化的価値が認められ、私たちの長年の思いが現実のものとなり、誠に喜ばしく感慨深い」とコメント。関係者の協力に謝意を示した上で「今後は日本の宝富士山を、世界の宝として未来へ引き継いでいくための活動に、関係者の英知を集めて全力で取り組む必要があるだろう」と述べた。
1962年から半世紀余りにわたり、富士山の清掃や植樹活動を続けている公益財団法人「富士山をきれいにする会」の野口英一理事長は「長年にわたって活動をともにしてきた地元のみなさんとともに、世界文化遺産への登録を喜び合いたい。美しい富士山を後世に引き継いでいけるよう、今後も美化活動を続ける」というコメントを出した。
「気が引き締まる」 麓を守る思い新た 地元登山家や写真家ら
地元の登山家や自然保護活動に取り組んできた人たちは22日、登録を喜ぶとともに、麓の景観や森林、水質を守ることへの思いを新たにした。
エベレスト登頂の女性最高齢記録を持つ渡辺玉枝さん(74)=富士河口湖町=は登録の一報に「ふるさとの山が世界遺産となることを、本当に喜ばしく思っている」とうれしそうに話した。幼いころ、顔を洗いながら富士山の表情を眺めるのが日課だった。富士山への登山について「無理をせず、自分なりのペースで楽しみながら登ってほしい」とアドバイスした。
世界自然遺産にする活動に携わり、富士北麓で自然保護に取り組んできた写真家の中川雄三さん(56)=富士吉田市=は、イコモスが登山者数の抑制や開発規制を求めていることを踏まえ、「今夏以降、富士山への登山者が増えることが見込まれる。世界の宝となった富士山をどう守るのか、国際的な責任を負うことを考えると、地元に住む者として気が引き締まる思いだ」と話した。
富士山をモチーフに楽曲を制作したこともあるシンガー・ソングライターのしらいみちよさん(53)=都留市=は「富士山は昔も今も信仰の対象。富士登山をすることは、神の領域に入らせていただく、ということなのだと伝えていきたい」と述べた。