残そう旧登山道 富士山吉田口 歴史と自然の地に 〝六根清浄〟
富士吉田市、同市教委、富士山吉田口登山道を守る会はこのほど、同登山道保存の最終的な修復対策構想をまとめた。登山道の修復、御師(おし)の保存、登山道沿道の遺跡保護など細かく取り挙げ、自然の姿をそこなわないようにしていく。年次計画で進め一部はすでに修復工事が始まった。関係者は「県も積極的な協力姿勢を示し、スムーズに運んでいる。少なくとも5年以内に終えたい」といっている。
富士山吉田口登山道は同市上吉田、北口本宮冨士浅間神社が起点。江戸時代から富士山信仰とともに栄え、戦後も続いた。これとともに富士講が盛んとなり、ふもとから頂上まで「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と唱えて登る信者の列が続いたという。またふもとには御師約百軒が軒を並べていた。ところが昭和39年4月、県営富士山有料道路が5合目まで開通したことによって、同登山口は荒廃していった。
同登山道は400年以上の歴史をもち、沿道には仏像や史跡などが多い。しかし、登山者も少なくなるにしたがって仏像は壊されたり、持ち去られたりして荒れるままになっている。そのため「このままでは先祖の残した貴重な遺産が失われていく。なんとか保存しよう」の声が地元から持ち上がった。昨年、富士山吉田口登山道を守る会を結成、市教委と保存対策を検討してきた。
修復構想では起点から馬返しまでの間に車道、歩道の区別をつけ、道は自然を生かすため舗装しない。雪代のための側溝をつけ、車はここまでしか入れないようにし、馬返し5合目間は歩道にする。御師の保存は現存している十数軒を民宿などに活用していく。御師の家に残されている古文書や絵画、石造物などは台帳をつくって保存する。
沿道の遺跡保護については、冨士浅間神社の神楽殿、拝殿などを県の重要文化財に指定してもらい、ここに民俗資料館を建設したいとしている。大塚丘は石造物を修復し、説明板を立てる。登山道のなかでも石造物が多く、富士ザクラの名勝地でもある中の茶屋は、石造物の盗難防止策や植樹を行う。また、野鳥の宝庫であるため、鳥類保護区に指定して、自然野鳥園をつくる計画もある。
このほか、諏訪の森や泉瑞、馬返し、みそぎ所、1合目の各周辺の整備-と、多額の資金を必要とする大事業である。 【当時の紙面から】
(1975年5月24日付 山梨日日新聞掲載)