2018.6.18
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山日紙面で見る富士山 /
6月 /
山岳救助隊が発足 県警 民間人の身体も補償
山岳遭難のスピードアップをめざして県警本部外勤課では、県警独自の救助隊を組織する方針をたてて準備をいそいでいたが、構想が本決まりとなり夏山シーズンを前に発足して、実際活動をはじめることになった。
昨年県下に発生した山岳遭難は50件、23人の死者、40人の重軽傷者を出すという新記録をつくったが、救助隊員の身体補償や内部機構の問題などでその都度、新しい体制のたてなおしを迫られた。とくにレジャー、バカンスムードのもりあがりで空前のにぎわいが予想されることしの夏山ではかなりの遭難発生が考えられ、県警ではことしはじめから関係機関の意向を打診しながら準備をすすめて来た。
救助隊は八ケ岳をひかえている長坂、南アルプスの韮崎、小笠原、鰍沢、奥秩父の日下部、塩山、三ツ峠などの都留の7署に1個分隊、富士山の富士吉田署に2個分隊、それに本部に予備隊2個分隊、計11個分隊を設置、各分隊は警官1、民間人6の割合で平均8人編成とする。合わせて警官28人、民間人60人、計88人の救助隊員が誕生、事件発生のさいは間髪をいれず出勤する体制をととのえる。
人選は関係各署の署長が一任され、月末には本部長からの任命があるので、救助隊員は警官なみに身体の補償を受けることになり、長野県下の二重遭難で問題となった障害はこれで解決する。
いままで県、県岳連、県警三者でつくられた遭難救助対策本部はほとんどそのままのかたちで存続するが、これは中心を予防活動などにおき、実際行動は全面的に救助隊が当たるわけで、いままでと違って遭難救助活動をあくまでも警察活動のひとつとして強力に表面に押し出そうとしたのがねらい。行動の敏速、連絡の綿密さを必要とする山岳遭難救助だけにこの新機構の誕生は注目される。【当時の紙面から】
(1963年6月18日付 山梨日日新聞掲載)広告