富士山の平成 重大ニュース [4]
◆登山者過去最多に(平成22年)
環境省は2005年、山梨、静岡県の四つの登山道全てに登山者数を自動で数える赤外線カウンターを設置。登山者は2010(平成22)年に最多の32万975人を記録した。同省富士五湖管理官事務所は「天候が良かったことに加え、世界文化遺産登録への機運が高まり、多くの登山者が訪れたのではないか」と分析する。
登山道別では、山梨側の「吉田口」が全体の57%を占める18万4320人。静岡側は「富士宮口」が7万8614人、「須走口」4万8196人、「御殿場口」9845人だった。
登山者の増加とともに、夜間に入山して眠らずに山頂を目指す「弾丸登山」が問題化。軽装で登る観光客の姿も目立ち、事故防止に向けて地元自治体などが入念な準備と無理のない行程での登山を呼び掛けている。
◆世界遺産登録(平成25年)
2013年6月22日、富士山の世界文化遺産登録がカンボジア・プノンペンで開かれた国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会で決定した。「世界の宝」となった富士山。地元をはじめ、国内は歓迎の声に沸いた。一方で山梨、静岡両県には、その価値を未来に継承する保全管理という課題も突き付けられた。
登録名称は「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」。富士山は日本が世界遺産条約に批准した1992年から、自然遺産での登録を検討してきたが、環境保全体制が確立されていないなどの理由で実現せず、文化遺産としての登録を目指した。
山梨、静岡両県は2005年に登録に向けた合同会議を設立。07年に富士山が世界遺産暫定リストに登録されると、文化遺産としての価値を証明する推薦書を共に作り上げ、12年に政府を通じてユネスコに提出した。
13年の世界遺産委では、25の構成資産のうち、ユネスコの諮問機関が唯一除外を勧告した静岡市清水区の三保松原が、逆転で登録される“番狂わせ”が起きた。当時の文化庁長官で登録に奔走した近藤誠一氏(72)は「誰もが待ち望んでいた瞬間。喜びにあふれた」と振り返る。「物理的な距離にかかわらず、日本人は富士山と三保松原に見えないつながりを感じ、文化を育んだ。欧米の科学主義と異なる日本人の自然観や美意識が世界に認められたことに意義があった」と強調する。
登録と同時に、世界遺産委が山梨、静岡両県に課した宿題が保全管理だ。登録済みの世界遺産は原則6年に1度、保全状況を審査されるが、富士山は保全面に懸念があるとして16年に3年前倒しで保全状況報告書を提出するよう勧告された。特に毎年夏、約30万人の登山者による混雑の常態化が問題視された。
構成資産の全体構想や来訪者の管理戦略を定め、富士山と構成資産の関係性を来訪者が理解できる情報提供の強化も求めた。これを踏まえて山梨、静岡両県がまとめた報告書は16年7月の審査で高く評価、承認された。
登録後、両県は情報発信・学術研究拠点の富士山世界遺産センターを整備。入山規制は実施していないが、保全管理に活用する入山料を導入し、1日当たりの登山者数の適正水準を吉田口と富士宮口で定めて混雑緩和を目指すなどの取り組みを続けている。今年6、7月にアゼルバイジャンで開催される世界遺産委で、これら保全管理の進展を記載した報告書が審査される。
近藤氏は「富士山が世界遺産に登録された意味は何か。保全に向けては、価値ある遺産はみんなで守らなくては、という自制心を一人一人が持つことが重要だ」と指摘した。
環境省は2005年、山梨、静岡県の四つの登山道全てに登山者数を自動で数える赤外線カウンターを設置。登山者は2010(平成22)年に最多の32万975人を記録した。同省富士五湖管理官事務所は「天候が良かったことに加え、世界文化遺産登録への機運が高まり、多くの登山者が訪れたのではないか」と分析する。
登山道別では、山梨側の「吉田口」が全体の57%を占める18万4320人。静岡側は「富士宮口」が7万8614人、「須走口」4万8196人、「御殿場口」9845人だった。
登山者の増加とともに、夜間に入山して眠らずに山頂を目指す「弾丸登山」が問題化。軽装で登る観光客の姿も目立ち、事故防止に向けて地元自治体などが入念な準備と無理のない行程での登山を呼び掛けている。
◆世界遺産登録(平成25年)
2013年6月22日、富士山の世界文化遺産登録がカンボジア・プノンペンで開かれた国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会で決定した。「世界の宝」となった富士山。地元をはじめ、国内は歓迎の声に沸いた。一方で山梨、静岡両県には、その価値を未来に継承する保全管理という課題も突き付けられた。
登録名称は「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」。富士山は日本が世界遺産条約に批准した1992年から、自然遺産での登録を検討してきたが、環境保全体制が確立されていないなどの理由で実現せず、文化遺産としての登録を目指した。
山梨、静岡両県は2005年に登録に向けた合同会議を設立。07年に富士山が世界遺産暫定リストに登録されると、文化遺産としての価値を証明する推薦書を共に作り上げ、12年に政府を通じてユネスコに提出した。
13年の世界遺産委では、25の構成資産のうち、ユネスコの諮問機関が唯一除外を勧告した静岡市清水区の三保松原が、逆転で登録される“番狂わせ”が起きた。当時の文化庁長官で登録に奔走した近藤誠一氏(72)は「誰もが待ち望んでいた瞬間。喜びにあふれた」と振り返る。「物理的な距離にかかわらず、日本人は富士山と三保松原に見えないつながりを感じ、文化を育んだ。欧米の科学主義と異なる日本人の自然観や美意識が世界に認められたことに意義があった」と強調する。
登録と同時に、世界遺産委が山梨、静岡両県に課した宿題が保全管理だ。登録済みの世界遺産は原則6年に1度、保全状況を審査されるが、富士山は保全面に懸念があるとして16年に3年前倒しで保全状況報告書を提出するよう勧告された。特に毎年夏、約30万人の登山者による混雑の常態化が問題視された。
構成資産の全体構想や来訪者の管理戦略を定め、富士山と構成資産の関係性を来訪者が理解できる情報提供の強化も求めた。これを踏まえて山梨、静岡両県がまとめた報告書は16年7月の審査で高く評価、承認された。
登録後、両県は情報発信・学術研究拠点の富士山世界遺産センターを整備。入山規制は実施していないが、保全管理に活用する入山料を導入し、1日当たりの登山者数の適正水準を吉田口と富士宮口で定めて混雑緩和を目指すなどの取り組みを続けている。今年6、7月にアゼルバイジャンで開催される世界遺産委で、これら保全管理の進展を記載した報告書が審査される。
近藤氏は「富士山が世界遺産に登録された意味は何か。保全に向けては、価値ある遺産はみんなで守らなくては、という自制心を一人一人が持つことが重要だ」と指摘した。
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