ジェット旅客機を落とした乱気流
1966(昭和41)年3月5日、羽田発、香港経由、ロンドン行きのBOAC(英国海外航空)機が、富士山の南東で墜落、機体がバラバラになり乗客乗務員全員が死亡した航空事故が発生した。目撃談によれば、それまで何事もなく順調に飛んでいるように見えた大型旅客機が、何の前兆もなく突然2つに割れたかと思うと、その1つはさらに数個に分解し、大きな塊のほうは黒煙を噴きながら真っすぐ落下していったという。事故後、政府は航空・気象の専門家からなる事故技術調査団を結成。1年3カ月後に結果を発表、BOAC機の荷重限度を超えた乱気流によるものと結論付けた。さまざまな実験などを総合して得られた事故当時の上空における乱気流突風値の推定は10分間平均値61メートル、最大瞬間で81メートルを超すこともあったと推定している。
今では富士山の南側、東側は乱気流地域として知られている。乱気流は、富士山を超えた気流が富士山に沿って吹き降りるとき、富士山を巻いてきた風とぶつかり、急に下から吹き上げたり、風速が加速する現象。BOAC機の悲劇は、当時は知られていなかった乱気流の最も起こりやすい空間に、強風の時に飛び込んだために引き起こされた。
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