新田次郎と富士
(にったじろうとふじ)
山梨ゆかりの作家で新田次郎(1912―1980年)ほど富士山にかかわりの深い人はいないだろう。
長野出身の新田は学卒後の1932(昭和7)年に中央気象台(現気象庁)に勤務、1937年まで富士山測候所交代勤務員として冬の富士山頂で過ごした。この経験を生かして執筆したのが「強力伝」。1951年「サンデー毎日」30周年記念懸賞小説1等に入選、第34回直木賞も受賞した。
その後、1963(昭和38)年から1966年まで気象庁測器課長として富士山レーダードーム建設を担当、文筆活動に専念するため退職した。30年の役人生活のうち約10年間富士山にかかわったことになる。
富士山をテーマにした作品はほかに「富士山頂」「富士に死す」「芙蓉の人 」「怒る富士」など数多い。また富士を愛した新田は富士の環境保全についても強い関心を持っていた。新田は「第一の故郷は長野、第二の故郷は山梨だ」と言うように「武田信玄」「武田勝頼」の歴史小説でも高い評価を得た。
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