幻の富士山トンネルケーブル計画
四季を通じて富士山頂からの景観を楽しみたい、との夢を実現するため1960年代初め、富士急行によって計画された。
構想によると、地質的に最も安定した富士山南西斜面(静岡県側)の5合目から山頂まで、溶岩流の下をくり抜くもので、富士山有料道路から南に分岐する道路を新設し、その沿道に始発駅を設け、途中8合目にも駅舎を設ける。路線は最深部で地中35.4メートル、浅いところで地下6.6メートルを進むケーブルは、山頂まで12、13分で行く。8合目で5合目から登ってくる山麓線を降り、頂上に向かう山上線に乗り継ぐ。定員は山麓線170人、山上線120人、交走式で各2両編成。推計年間延べ乗客数は山麓線60万人、山上線42万人とした。当時のキャッチコピーは「ハイヒールで日帰り登山」だったとか。
1963年9月に国に対して建設申請をしたが、1974年に「環境保全の立場からいささかも自然を損なう懸念のないよう期す」と、申請を取り下げ、自然保護への配慮を歓迎された。
それより28年前の1935年、東京の山崎亀吉がトンネルケーブルカー敷設願を国に提出している。吉田口登山道から5合目まで直径16メートルのトンネルを掘りケーブルカーを通す計画で、工事費は500万円だったが翌年、内務省は申請を却下した。
その後、東京オリンピックによる観光ブーム到来を見込み、山梨県が「モグラ・ケーブル案(富士登山運送事業計画)」を計画。トンネルは長さは3.45キロ、幅5メートル、高さ5メートル、最高傾斜33度、車両はケーブルカー20人乗り2台、建設費14億3千万円。1959年6月の総合開発審議会で原案通り承認されたが、同年7月の文化財保護委員会定例委員会で不許可の結論。同案はやがて白紙に。
構想によると、地質的に最も安定した富士山南西斜面(静岡県側)の5合目から山頂まで、溶岩流の下をくり抜くもので、富士山有料道路から南に分岐する道路を新設し、その沿道に始発駅を設け、途中8合目にも駅舎を設ける。路線は最深部で地中35.4メートル、浅いところで地下6.6メートルを進むケーブルは、山頂まで12、13分で行く。8合目で5合目から登ってくる山麓線を降り、頂上に向かう山上線に乗り継ぐ。定員は山麓線170人、山上線120人、交走式で各2両編成。推計年間延べ乗客数は山麓線60万人、山上線42万人とした。当時のキャッチコピーは「ハイヒールで日帰り登山」だったとか。
1963年9月に国に対して建設申請をしたが、1974年に「環境保全の立場からいささかも自然を損なう懸念のないよう期す」と、申請を取り下げ、自然保護への配慮を歓迎された。
それより28年前の1935年、東京の山崎亀吉がトンネルケーブルカー敷設願を国に提出している。吉田口登山道から5合目まで直径16メートルのトンネルを掘りケーブルカーを通す計画で、工事費は500万円だったが翌年、内務省は申請を却下した。
その後、東京オリンピックによる観光ブーム到来を見込み、山梨県が「モグラ・ケーブル案(富士登山運送事業計画)」を計画。トンネルは長さは3.45キロ、幅5メートル、高さ5メートル、最高傾斜33度、車両はケーブルカー20人乗り2台、建設費14億3千万円。1959年6月の総合開発審議会で原案通り承認されたが、同年7月の文化財保護委員会定例委員会で不許可の結論。同案はやがて白紙に。
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