穴山勝堂と富士
日本画家・穴山勝堂(1890-1971年)は、御坂町(現・山梨県笛吹市)生まれ。東京美術学校在学中は洋画を学ぶが、日本画家の松岡映丘(1881-1938年)に師事してからは、日本画に転向。1921年、狩野光雅、遠藤教三らと新興大和絵会を結成し、新しい大和絵の可能性を追求した。
1931(昭和6)年、第12回帝展で「夕映えの松」が初出品で特選となり、宮内省買い上げとなったほか、第14回帝展でも再び特選に選ばれている。1938年には、望月春江、川崎小虎らと日本画院を創設。太平洋戦争中は八代村(現・山梨県笛吹市)に疎開し、戦後も東京へは戻らず一宮町(現・山梨県笛吹市)で暮らした。また山梨美術協会設立会員としても活躍、県内画壇の発展に尽力した。1968年に県文化功労者表彰、1970年、勲五等瑞宝章を受章した。
富士山を数多く描き、中でも大和絵山水画を本領としていた勝堂にとって、松と富士は生涯のテーマとして晩年まで描き続けられた。作品「夕富士」(山梨県立美術館蔵)は、夕映えの中の松と富士という勝堂ならではの作品である。また、日本画の作品論や、戦争で全てを失った後に山梨で芸術家として再起するまでの心情を記した手記「遠保栄我記」を残している。
◇
2019年、勝堂の評伝「穴山勝堂伝 松と富士」が刊行された。孫で聖学院大名誉教授の標宣男さん(笛吹市出身、東京)が勝堂の手記などをもとにまとめた。評伝は、「遠保栄我記」や標さんの義兄が残した資料などをもとに執筆した。2章仕立てで生涯を前後半に分け、画業を中心にまとめたほか、第一章では戦前の日本画壇の動き、第二章では勝堂の手記の副題「静に如くは莫く-」で表された心境などにも迫っている。絵画の制作年なども盛り込んだ詳細な年表も収載。「穴山勝堂伝 松と富士」は朝日新聞出版刊。