小林萬吾と富士
小林萬吾(1870-1947年)は香川県に生まれ、漢学を修めた後、松山の官立中学に入学。このころ、洋画家の原田直次郎(1863-1899年)に師事し、後に明治の洋画壇の第一人者であった黒田清輝(1866-1924年)が主宰する天真道場で学んだ。
東京美術学校西洋画科開設とともに入学し、黒田清輝のもとで研さんを積み、1904(明治37)年に同校助教授となる。1911(同44)年には文部省からヨーロッパ留学を命じられ、3年間フランス、イタリアなどを歴訪。帰国後は東京高等師範学校教授、東京美術学校教授を歴任したほか、帝展審査員、帝国美術院会員などの要職を務めている。
萬吾の作品は、外光表現を取り入れた明るい色彩で、穏健な画風の日本洋画の正統派といえる。主題は日本的な情趣のある風俗や風景が中心となっている。作品「富士」では、穏やかな富士の姿を、奇をてらうことなくアカデミックに表現している。
東京美術学校西洋画科開設とともに入学し、黒田清輝のもとで研さんを積み、1904(明治37)年に同校助教授となる。1911(同44)年には文部省からヨーロッパ留学を命じられ、3年間フランス、イタリアなどを歴訪。帰国後は東京高等師範学校教授、東京美術学校教授を歴任したほか、帝展審査員、帝国美術院会員などの要職を務めている。
萬吾の作品は、外光表現を取り入れた明るい色彩で、穏健な画風の日本洋画の正統派といえる。主題は日本的な情趣のある風俗や風景が中心となっている。作品「富士」では、穏やかな富士の姿を、奇をてらうことなくアカデミックに表現している。
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