富士五湖の生い立ち

富士五湖の生い立ち
(ふじごこのおいたち)

 現在の富士五湖は、富士山の大規模な噴火によって形を変えながら次第に出来上がっていったとされる。2万−1万5000年前の古富士火山の爆発的な噴火によってできた陥没地に水が流れ込んで「せの海」「宇津湖」「旧河口湖」「明見湖」と呼ばれる4つの湖ができた。

 せの海は後の本栖湖と西湖と精進湖、宇津湖は山中湖と忍野八海、旧河口湖は河口湖、明見湖は明見盆地にそれぞれ関係する。これらの湖の総面積は現在の富士五湖の7.8倍あったと推定されている。

 約5500年前の新富士火山の噴火はガスの多い、壮烈な爆発だった。この結果、宇津湖、旧河口湖、明見湖は火山灰や火山礫(れき)でほとんど埋没し、せの海の面積も半分程度になった。その後、明見湖は干上がって盆地となり、宇津湖も最初は広い盆地になったが流れ込む川と富士の湧水が堆積物を浸食し、山中湖の原地形となる谷と忍野八海の原形である盆地が形成された。

 約4500年前からの噴火による溶岩流で、せの海からまず本栖湖が西湖、精進湖と切り離された。広い盆地となってせの湖からあふれた湖水や山腹の流水が合流して流れていた旧河口湖も、この川が溶暗流によってせき止められて河口湖が誕生した。しかし大きさは現在の西側半分くらいだった。

 約3500年前からの噴火は激しい爆発を伴い、せの湖はさらに狭くなった。約2500年前からの噴火は比較的小規模で湖に影響はなかった。

 約1500年前から始まった噴火は、西暦800−870年の間が特に激しく、山腹からの噴火で多量の溶岩流が流れ出した。山中湖は鷹丸尾溶岩流が丹沢山地から流れ出る谷の入り口をせき止めて出来上がった。河口湖は剣丸尾溶岩流によって、それまで河口湖から流れ出していた川がせき止められ、現在の大きさになった。一方、せの湖は864年の青木ケ原溶岩流ではっきり西湖、精進湖、本栖湖の3湖に分断され、現在の富士五湖が形成された。

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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