富士山の登山史年表(昭和)

富士山の登山史年表(昭和)
(ふじさんのとざんしねんぴょう しょうわ)
富士山NET−富士山の登山史年表(昭和)
出来事
1929(昭和4)年 県が富士山、八ケ岳、南アルプスなどに4人の高山植物看守人を配置。【6月】
1930(昭和5)年 日本山岳会が冬の山小屋調査。富士山は5合目石室桂屋(吉田、池谷佐重郎、宿泊2円)を紹介。
1932(昭和7)年 中央気象台臨時富士山頂観測所が業務を開始。1950年に富士山測候所になった。1964年10月からはレーダー観測が加わった。レーダー観測は1999年10月で終了。【7月1日】
6人パーティーの1人(土屋勇)が滑落、死亡。吉田大沢を下山中で、ピッケル制動が利かなかった。慶大の三井松男らが救助に出ている。【11月27日】
1933(昭和8)年 静岡・駿東郡青年団が御殿場、大宮、須走3口から清掃登山。「富士山を清浄に」の立て札を建てる。【7月22、23日】
この年の登山者は10万1814人(中部旅行協会調べ)。
山小屋料金は5合目で1泊3食1円50銭、案内人は頂上まで1泊2日4円。
1934(昭和9)年 初冬、冬山シーズンに備え吉田署が馬返しに派出所を開設。
この年の登山者は3万7403人(山梨県側:県調べ)。
1935(昭和10)年 横浜の6歳の少女が登頂。27日の吉田口登山者は3043人だった。【7月28日】
この夏、ケーブルカー計画。東京の山崎亀吉がトンネルケーブルカー敷設願を国に提出した。吉田口から5合目まで直径16メートルのトンネルを掘り、中にケーブルカーを通すというもので、工事費500万円。翌年、内務省は申請を却下。
この夏、吉田口強力案内人は265人が吉田署から鑑札を受けた。前年より約100人の減少。強力要請が急減したため。
1936(昭和11)年 富士箱根伊豆国立公園指定。【2月1日】
1938(昭和13)年 防共富士登山が行われる。日本、ドイツ、イタリア、満州など7カ国300人が吉田口から登山。【7月17、18日】
1942(昭和17)年 埼玉の名取久作が雁ガ腹摺山で「500円札の富士山」に使われる写真を撮影。【11月3日】
1948(昭和23)年 日本山岳会主催の冬山講習会が開かれ今井友之助、百瀬舜太郎ら参加。【11月20〜23日】
1949(昭和24)年 第4回国民体育大会の登山部門を実施。県山岳連盟と日本山岳会支部が総力を挙げて取り組み成功させる。県関係者は厳冬期だったが、屏風尾根の水口ら3隊が参加し山頂テント泊を実行した。【10月30日〜11月3日】
5合目の小御岳神社近くに、県が建設していた芙蓉山荘が完成した。
1953(昭和28)年 マナスル登山隊が長期訓練。酸素吸入器なども使用。【12月】
1954(昭和29)年 吉田大沢で大規模な雪崩による大量遭難。日大、東大、慶大山岳部の40人が訓練中に雪崩に巻き込まれ15人が死亡した。南岸低気圧。【11月28日】
1959(昭和34)年 富士山の山小屋に電話開通【7月1日】
1960(昭和35)年 吉田大沢の5合目で大規模な雪崩が発生。冬山訓練中の早大、東京理科大、さらにアルピニスト教室参加の55人が巻き込まれ死者11人、重軽傷32人の大惨事となった。南岸低気圧が通過中。【11月19日】
1962(昭和37)年 山梨日日新聞社などが提唱した「富士山をきれいにする運動」がスタート。第1回の清掃活動に連盟からは150人が参加した。【7月7、8日】
1963(昭和38)年 富士山をきれいにする運動で東京、静岡、山梨の3都県の2000人が集中登山【7月7日
1964(昭和39)年 富士山有料道路(スバルライン)が開通。河口湖畔と富士山5合目を結ぶ延長約30キロ。【4月1日】
深田久弥の「日本百名山」(新潮社)発刊される。山梨からは八ケ岳、雲取山、甲武信ケ岳、金峰山、瑞牆山、大菩薩嶺、富士山、甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳、鳳凰山、北岳、間ノ岳。【7月20日】
1965(昭和40)年 富士山頂に設置された世界一の気象レーダー始動。【3月10日】
8合目で強風に飛ばされ1人が死亡、1人がけが。気象状況は強い冬型。この年は11月中に死者7人、重軽傷9人と遭難が集中した。【11月12日】
1966(昭和41)年 台風26号が県東部を通過。足和田災害を引き起こす。全県の被害は死者143人、不明32人にのぼった。この時、午前1時27分、富士山頂で最大瞬間風速91メートルを記録。日本の最大瞬間風速記録となっている。【9月25日】
富士山で冬山訓練中の4パーティーが27日にかけ相次いで遭難、救助隊の二重遭難も加わり、滑落で6人死亡9人が重軽傷。【11月26日】
1970(昭和45)年 韓国・ソウル大OB山岳部が来県。富士山や北岳に交流登山を行う。【6月19〜28日】
エベレストの初登頂者である英国人エドモンド・ヒラリーさんが夫人とともに富士山に登る。【7月29日】
1972(昭和47)年 富士山9合目で3人が突風にあおられ滑落死した。【1月1日】
御殿場口で雪崩が発生、翌日の捜索で18人が遺体で収容され、10人が行方不明に。日本海低気圧の通過によるもので山は大荒れとなった。【3月20日】
強風による落石があり7〜8合目で7人がけがをした。気象状況は寒冷前線が通過。【8月20日】
5合目で突風のため1人死亡、10人けが。寒冷前線通過。【11月24日】
1976(昭和51)年 低温と強風のため3人死亡。同23日には強風でテントが飛ばされ6人がけが。いずれも強い冬型の気圧配置だった。【11月16、17日】
1979(昭和54)年 富士山で4人が滑落して死亡、7人が重軽傷。【11月24日】
1980(昭和55)年 富士山で大規模な表層雪崩が発生。富士山有料道路の5合目御庭付近が雪と土砂で埋まったほかカラマツ、シラベの原生林が根こそぎ流失。5合目には約40人の登山者や行楽客が足止めに。【4月14日】
富士吉田市のすそ野路郷土研究会が、江戸時代まで富士山2合目にあった女性だけの遙拝所を1世紀ぶりに発見。【7月27日】
吉田大沢の上部にある久須志岳の一部が崩落、岩雪崩となって6合目下まで落下した。登山者多数が巻き込まれ12人が死亡、32人が重軽傷を負う最大規模の落石事故となった。【8月14日】
山梨県富士山安全登山対策委員会が発足。【9月25日】
富士山で3件の落石、滑落事故が起き、1人死亡し3人が重軽傷【11月24日】
1981(昭和56)年 前年8月の大落石事故を受け、開設工事が進められていた富士山吉田口の新下山道が6月29日に完成、7月1日から供用開始。また、登山者の安全、マナー啓発などを呼び掛ける「富士山安全指導センター」も7月1日開設。
5合目で落雷、1人死亡。胸ポケットに入れておいた100円ライターの金属部分が被雷した。【7月28日】
1982(昭和57)年 連日落雷があり1人死亡、13人が重軽傷。【8月7、8日】
富士山で5件の滑落事故があり2人が死亡、4人が重傷。【12月5日】
1983(昭和58)年 昭和55年8月の大落石事故を受け、富士山の危険度などを調査していた富士山落石災害対策技術検討委員会が、砂走り下山ルートの廃止を含む調査報告書を関係省庁と山梨県に提出。これにより富士登山の中で長い歴史を持つ砂走りは正式に廃道に。【5月18日】
1987(昭和62)年 91歳の高齢で富士山に挑んだ米国人女性、ハルダ・クルックスさんが登頂に成功。これまでの女性の登頂最高齢記録を塗り替える。【7月24日】
1988(昭和63)年 101歳の五十嵐貞一さん(福島県)が富士山に登頂。高齢者記録を6年連続で更新。【8月8日】


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