富安風生と富士

富安風生と富士
 熔岩原(らばはら)の野分の荒き男富士

 風生(1885−1979年)が初めて富士北麓を訪れた64歳の時、俳誌「若葉」20周年記念号に発表した1句である。富士のすそ野の荒々しい溶岩の広がりと秋の強風。初対面の富士を「男富士」という新しい一語で、見事に表現している。風生は愛知県生まれで、逓信省の役人だった。1937年に退職し、富士との出合いはあらためて俳句に向かい新しい表現を求めていたころであった。

 正岡子規、高浜虚子につながる「ホトトギス」系列の道を歩んできた風生と富士北麓とのかかわりは、地元の俳人柏木白雨が虚子の助言で1948年7月、風生を訪ね、青年俳人グループ「月の江会」の選句を頼んだことによる。これを機に風生は毎年夏、山中湖、河口湖を訪れ地元俳人と俳句会をともにした。同時に富士を詠んだ作品を多数残し、その成果は「富士百句」として結実した。特に「赤富士」を詠んだ句は約50に上る。

 風生の地元俳句会との交流の深さは富士北麓に残された十数基の句碑が物語っている。そして教えを受けた人々の俳句会は現在も開かれており、風生の心は今も富士北麓に生き続けている。

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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