山頂の気象観測

山頂の気象観測
 天気は上空から変わってくる。このため、天気予報をする際、上空の気象データは非常に重要な資料になる。今では、気象衛星の画像や気象レーダー、定時に飛ばす観測気球などから地球規模で上空の気象データが得られる。しかし、日本で近代的な天気予報が始まったばかりの明治のころは、高い空の状況を知るすべはなかった。

 「富士山がある」。しかし、そう考えた先人がいた。山頂の高さは3776メートル。山頂での地上観測は、そのまま上空の気象観測になるわけだ。その先人は民間人の野中至。1895(明治28)年末、千代子夫人とともに極寒の山頂で越冬観測にも挑んだ。山頂での通年気象観測に生涯をささげた夫妻の奮闘は、元気象庁職員で富士山測候所の勤務経験もある作家の故新田次郎が「芙蓉の人」で描いている。

 「天気予報が当たらないのは、高層気象観測所がないからなのだ。天気は高い空から変わってくるだろう。その高い空の気象が分からないで天気予報が出せるわけがない。富士山は3776メートルある。その頂に気象観測所を設置して、そこで一年中、気象観測をつづければ、天気予報は必ず当たるようになる…」

 「芙蓉の人」の一節にある野中至の思いだ。十分な装備のない時代の越冬観測は途中、夫妻が病に倒れ成功しなかったが、富士山頂の気象観測の歴史は、この野中夫妻ぬきに語ることはできない。

 富士山での越冬観測は、中央気象台(気象庁の前身)の佐藤順一が1930(昭和5)年1月に果たした。通年観測はその2年後の1932(昭和7)年、佐藤の小屋があった山頂東安河原に建設された「中央気象台臨時富士山頂観測所」で始まった。野中至の夢は、夫妻の命がけの越冬観測から37年後に実現した。剣ケ峰にある今の富士山測候所は、風の観測条件を考慮して、1936(昭和11)年に東安河原から移設された。

 有人の気象観測は2004年10月1日に幕を閉じたが、先人の努力の上に富士山頂の気象観測があった。

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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