世界遺産「富士山」へ プロジェクト始動
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富士山が世界遺産になるという意味(要旨) 田中利典さん
 江戸期に刊行された辞書「節用集」のうち、「大日本永代節用無尽蔵」の巻頭を飾っているのは富士と吉野山。当時から日本を代表する絶景といえば、吉野の桜と富士山だった。吉野が世界遺産になり、次は富士山との思いで講演に来た。

 「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録活動にかかわってきた。遺産を構成する高野山や吉野大峯、熊野三山が素晴らしいから世界遺産になったとは思っていない。修験道や真言密教、神道という違う種類の霊場が道でつながり、深い自然の中で千年単位で共存してきた点に意味がある。日本人独特の多様な自然観、信仰心を象徴しているからこそ世界の宝と判断されたのだと思う。

 富士山は、万葉集の山部赤人の歌で「神さびて 高く貴き」とあるように古代から神の山だった。それを発展させたのは修験道と富士講だ。平安期には末代上人が富士修験の基礎を築いた。さらに鎌倉から室町期にかけ、今の富士市周辺で富士修験は大きく発展し、戦国末期から江戸期にかけては長谷川(藤原)角行によって、富士講も盛んになった。

 しかし明治期の神仏分離政策で、神仏習合という日本人の信仰の形が壊された。修験道は神と仏を一緒に拝むことを基盤とする宗教なので解体された。富士山もそれまでは間違いなく信仰の山だったが、富士修験の解体で観光の山になっていった。信仰の山が観光地化したことで、ごみ問題などが起き、本来の価値が損なわれていった。

 世界遺産登録は、まず自分の国の文化や歴史を自覚し、宝物として意識することから始まる。「紀伊山地の霊場と参詣道」は、紀伊山地が持つ多様な信仰が自然とともに守られてきたことを「宝物」だと自覚したから世界遺産となった。大自然を拝むという日本人の価値観。その代表的な山が富士山だ。そういう聖地性に着目しなければ、世界遺産登録も意味をなくしてしまう。

 私からの提言は2つ。まず、世界遺産登録はゴールではなく、保護のためのスタートだという意識で取り組んでもらいたい。そのためには富士山の聖地性を自覚することが大事だ。もう1つは世界遺産を保全する「第一の門番」の確保。世界遺産登録により、掛け替えのない自然が破壊されるようなことがあってはならない。日本の世界遺産には失敗例もある。間違った観光開発や地域振興が進まないように「第一の門番」の役割を地元が中心になって、しっかり果たしてほしい。

 多様なものを多様なままに認めてきた日本人の価値観が世界を救う−。このくらいの意気込みで、登録に取り組んでもらいたい。

2009年2月24日付 山梨日日新聞掲載


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