世界遺産「富士山」へ プロジェクト始動
パネルディスカッション
インデックスへ
 パネリスト
クリスティーナ・カメロンさん
  2008年世界遺産委員会議長、
  モントリオール大教授
ノーラ・J・ミッチェルさん
  バーモント大客員准教授
田中利典さん
  金峯山修験本宗宗務総長
 コーディネーター
稲葉信子さん
  筑波大大学院人間総合科学研究科教授
富士山の世界文化遺産登録をめぐり意見を交わすパネリストら=静岡・富士市交流プラザ

  稲葉信子 「富士山の象徴性」をテーマに、世界文化遺産登録に向けた作業の助けになるようなディスカッションをしたい。まず海外の専門家2人に富士山をいつ、どうやって知ったか、また実際に見た印象などを聞いてみたい。

 クリスティーナ・カメロン 初めて富士山を知ったのは子供のころだ。芸術好きな母が持っていた葛飾北斎の版画を見た記憶がある。日本で富士山を見て感銘を受けたことは2つ。1つは規模の大きさ、もう1つは精神的、宗教的な重要さがあるという点だ。

  ノーラ・J・ミッチェル 子供のころ学校の授業で富士山のことを学んだ。大人になってからは北斎や安藤広重の作品を通してあらためて知ることができた。冨嶽三十六景を見たためか「富士山を背景に白波が立つ」という場面が特に印象深い。日本で実際に見て、象徴的なイメージや文化・精神的な力、存在感を感じることができた。光や雲の加減で山を見るたびに違った美しさも見られた。

  稲葉 田中利典さんは“世界遺産の先輩”となる紀伊山地の霊場の1つを守っているが、世界遺産登録を目指そうとしたきっかけなどを話してほしい。

  田中利典 明治以降、修験道が禁止され、吉野・大峯が持つ歴史性が損なわれた時代があった。世界遺産に登録しようとしたのは、歴史性を再認識してもらいたかったからだ。ここ20年くらいの間で急速に吉野・大峯で環境破壊が進んだので、世界遺産の精神に照らして保全したいという思いもあった。世界遺産になる価値はあると信じていたが、登録されなくても地域の人が歴史性を取り戻すきっかけになればいいと思って活動を始めた。

  稲葉 富士山は「日本の象徴」とされる。1つの国の象徴として世界文化遺産リストに入ったものはこれまでにあるのだろうか。

  カメロン これまでさまざまな調査をしてきたが、その国のシンボルだからといって登録推薦されてきた遺産はなかったと思う。だがそれに近いものはあった。南アフリカのロベン島だ。(アパルトヘイト時代に)ネルソン・マンデラ氏が27年間投獄されていた強制収容所があった場所だが、南アフリカは「許し」と「平和」、「和解」のシンボルとして登録申請した。南アフリカのシンボルとしてではなく、いろいろな困難を乗り切る力、人間として価値観を守り抜くことといった精神を象徴していた。

  稲葉 富士山の「文化的景観」について探ることも重要だと思う。ミッチェルさんはその領域の専門家。基調講演で比較研究が大事と話していたが富士山はどんな形で比較研究を進めるべきなのか。

  ミッチェル 講演では自然と文化の相互作用という話をさせてもらった。富士山は人と自然、文化と自然の相互作用の1つの例になると思う。火山地帯特有の生態系があり、草原や樹木といった自然に文化がどのように反応したのか、そこに富士山のとても重要な価値がある。この相互作用と、登録基準要件をすべて突き合わせてみることが必要だ。また推薦する際は世界レベル、また地域レベルそれぞれで系統的に似ている遺産と比較する視点が重要だ。中国にも遺産登録されている山がある。比較対象の1つと考えてみてはどうだろう。

  稲葉 霊山、聖なる山といえばニュージーランドの「トンガリロ国立公園」など世界にいくつかある。やはり富士山は、日本に近い中国の山と比べるべきなのか。

  ミッチェル もちろん地域間の文化は比較しやすい。アジア地域ならば伝統的にも類似している点が多いと思う。分析をどう進めるかは自分たちで決めればいいのだが、世界レベルと地域レベルの両方で見ることを勧める。

  カメロン カナダの例だが、植民地時代のコロニアルタウンを世界遺産に登録申請したが、世界遺産委員会が申請書を送り返し、すべてのイギリスのコロニアルタウンを調べるよう要請してきたことがあった。イギリスは世界中に植民地をつくったので、そんなことを言われても不可能だ。そこでICOMOSと交渉し、北米と中米のコロニアルタウンに比較対象を絞って調査することになった。遺跡にもよるが、地域的違いもあるので、地域比較で十分ということを正当化することはできると思う。

  稲葉 田中さんには吉野・大峯を修行の場とする修験道が世界遺産としてどんな価値を持っているのか話してほしい。また富士山の象徴性をどう考えたらいいのか意見も聞きたい。

  田中 紀伊山地と参詣道は熊野という神道の霊場、高野山という真言密教の霊場、吉野という修験の霊場という3つの異なる霊場が1つの道でつながれ、神仏を分け隔てなく拝んできた日本の多様な形式の信仰が今も残っている。自然の中に神や仏を感じる信仰が実践として残っている点に日本の宝としての価値がある。世界遺産は個々の国の宝を個々の国で自覚し、世界共有の宝として守っていこうという理解の上に成り立っている。まずは自分たちの宝を理解することが大事なのではないか。また、富士山は何を象徴しているか、と考える時、欧米と日本との違いを見ていかなければならないと思う。キリスト教が浸透する以前の欧米にはいろいろな信仰があり、山にも聖なるものがあった。だがキリスト教が広がってから、山は悪魔が住む場所になった。西洋の登山はわずか200年ぐらいの歴史しかない。ところが日本人は役行者(えんのぎょうじゃ)という修験道の開祖以降、1300年にわたって山をあがめ、山に入って修行するカルチャーを持ってきた。欧米で山を絵にかくというカルチャーはなかったが、日本では雪舟が那智の滝を絵に描いて国宝になったり、自然の中に神聖性を見いだして描いてきた。富士山には、日本人が自然に対し抱いてきた畏怖(いふ)や神仏に対する神聖な思いなどが集約されている。美しいことと聖なるものは近い存在だが、富士山は姿からして神仏に近い景観を持ち、日本人はその中に神や仏を見てきた。そこに気付かなければ富士山の世界遺産としての価値は生まれない。

 世界に示せる価値を カメロンさん
 文化と自然相互作用 ミッチェルさん
 歴史性再認識の機会 田中さん


  稲葉 富士山の世界遺産登録を進める上で、信仰と芸術の観点をどこに絞っていくかという議論がある。富士山を宗教的側面から、あるいは芸術的側面から「顕著な普遍的価値」にどう結びつけていくべきなのか。

  ミッチェル 今回、富士山周辺地域を訪ねて何度も感銘を受けた。とても強力で継続性のある精神的伝統も見せてもらった。富士山本宮浅間大社の曼荼羅(まんだら)図は精神的伝統が描かれた重要な例証。現地で見た儀式も描写的な形で継承されていて、それはまさに価値を示し、精神的伝統を表していたと思う。

  カメロン 神社や清めの儀式、修験の道、曼荼羅図などの中に文化的伝統は表れている。「ある文化的伝統または文明の存在を伝承する物証として無二の存在」という登録基準(3)に当てはまるのではないか。また登録基準(6)の「顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある」を取り込むこともできる。何世紀にもわたる芸術作品があるということだから、美と真実性を結び付けることも可能だろう。2つの基準をたたき台とし、顕著で普遍的な価値を示せるのではないか。

  ミッチェル 精神的伝統ということであれば、登録基準(3)に登録基準(4)「歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本」を組み合わせてアプローチする方法もある。

  稲葉 田中さんに修験の価値をどうやって証明したのかを聞きたい。

  田中 西洋人が北斎の絵画を見て感動するのはキリスト教以降の欧米にないカルチャーだからだ。自然の中に自分を超えたものを有し、あがめることが近代以降、急速に衰えた。そのまま世界遺産委員会の担当の人たちに訴えることで道筋が開けたと思う。

  稲葉 世界遺産の申請を進める上でもう1つ重要なことは、保存のための措置が十分になされているかという点。世界遺産を守るためにどのような準備やプロセスが必要か意見を聞きたい。

  カメロン 委員会が見たいのは長期的な保全措置があるかという点。法律的にも保護され、伝統的な慣行があることなどを文書で示さなければならない。富士山の場合は山梨県と静岡県だけでなく、多くの関係者が調整を取りながら全体的管理体制があるということを示す必要もある。イタリアでは7つの農村が一緒になって登録申請したが、調整のとれた管理体制がなかったため委員会が「ノー」を出した。また富士山は登山者が増えているとも聞いている。観光産業と観光客をどう管理するかは重要な要素だ。収益を生み出したい人が同じ倫理で動いてくれるとは限らない。それをどう管理するかという点も世界遺産委員会は検証する。
議論に耳を傾ける来場者


  稲葉 1つの寺や城なら管理者が判断できるが、富士山の場合、誰かが1人で判断することはできない。だから、よりどころとなる保存管理計画が必要になる。富士山は関係者が多いが、ミッチェルさんに文化遺産を守ってきた経験から何かアドバイスがもらえないか。

 ミッチェル 一般の人の参加が必要だ。組織を持って法的、技術的サポートをしていくことも重要。広いゾーンからキーマンに参加してもらい、協力的管理を進めることも1つの方法だ。

  稲葉 田中さんはどんな形で取り組んでいるのか。

  田中 世界遺産登録された2004年、吉野の観光客は20倍に増えた。歴史性を再認識してもらうだけでなく、自然環境を守りたいという目標があったが、観光客が増えたせいで自然が破壊されたのでは何のための世界遺産か分からなくなる。ICOMOSが定めた国際文化観光憲章の中にカストーディアン(第一の門番)という、世界遺産を守る役目を担う人を指す言葉がある。吉野・大峯では保全に関する官民の団体を立ち上げ、合同で連絡会議を開いている。三霊場の保護のための連絡協議会も立ち上げようと準備を進めている。私も第一の門番という使命を感じてやっている。ぜひ富士山も第一の門番をつくる意識を持ってやってもらいたい。

  ミッチェル 将来のビジョンを持った連絡協議会を立ち上げるのは良いことだと思う。それが富士山にもつながるといい。いろんな組織を関与させ、それぞれ役割を果たさせることが大事だ。

  稲葉 富士山の世界文化遺産登録を目指す活動に対して、最後にメッセージを。

  田中 世界遺産は、登録がゴールではなく、そこから保全のための活動がスタートする。日本の象徴である富士山の世界遺産登録が、日本人が大事にしてきた自然観を取りもどすきっかけになればいいと思う。

  ミッチェル 田中さんの言う通りだと思う。富士山が次の世代に残され、素晴らしい価値が一層高められるよう願っている。

  カメロン 世界遺産登録は、地球が何千年もかけて提供してくれたものを失うことにならないようにするため、人間に課せられた1つのつとめ。だから私は世界遺産に情熱を傾けている。皆さんも選んだ道を突き進んでほしい。
Christina Cameron(クリスティーナ・カメロン)さん モントリオール大建築学部教授、カナダ・リサーチ・チェア(建築遺産)教授。カナダ公園管理局国家史跡部門長官などを歴任し、カナダの史跡管理に携わる。1970年代から遺産管理などをテーマに執筆活動を続け、世界遺産委員会のカナダ代表団長を20年近く務めた。同委員会では議長、ビューロー会議メンバーを務めるなど中心的役割を担っている。
Nora J.Mitchell(ノーラ・J・ミッチェルさん)さん バーモント大ルーベンスタイン環境自然資源学部客員准教授。モンタナ大で生態学修士号、タフツ大で環境計画・政策修士号、景観学博士号などを取得。ユネスコ世界遺産センターやICOMOSなどと連携し、文化的景観の評価、理解、管理に貢献。「文化的景観−その保全の課題」「普遍的価値をもつ文化的景観」など、数多くの論文を発表している。
田中 利典(たなか・りてん)さん 1955年京都府生まれ。金峯山修験本宗宗務総長、金峯山寺執行長。1981年に同寺に入り、2001年から現職。「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録に尽力。現在、全日本仏教会評議員、国際仏教興隆協会評議員、日本山岳修験学会評議員、吉野ユネスコ協会副会長などを務める。
稲葉 信子(いなば・のぶこ)さん 専門は文化遺産保存と建築史。1991年から2002年まで文化庁文化財調査官。02年から東京文化財研究所文化遺産国際協力センター国際企画情報研究室長として、文化遺産保存に関する政策研究やアフガニスタン・バーミヤン遺跡の保存にかかわる。

2008年11月11日付 山梨日日新聞掲載


All rights reserved by YAMANASHI NICHINICHI Newspaper and YBS Yamanashi Broadcasting System.
富士山NETに掲載の記事・写真および図版の無断転載を禁じます。