世界遺産「富士山」へ プロジェクト始動
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芸術の源、富士山 大原美術館長 高階 秀爾さん
 富士山は日本のほぼ中心にあり、大変美しい山。古くから日本人にとって、心の故郷であり、精神の源泉、文化の源だった。文学、詩歌、演劇の舞台となり、数々の美術作品を生み出してきた。

 日本で最も古い歌集である万葉集には、山部赤人による「田子の浦ゆうち出て見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」という、よく知られた歌が収められている。この歌は富士をたたえる長歌の反歌。長歌は、天地の始まりから富士がそびえていたことを歌い上げている。

 富士山は日本人にとって美しい自然であると同時に神のいる場所。日本人は自然に対し、人間を超えた何か崇高なものが存在するという感覚を持ち、中でも富士は日本人の心に強く訴え掛けてくる山だった。今に残る歌や美術、演劇などからその様子がうかがえる。

 江戸期の俳人、与謝蕪村の句に「不二(富士)ひとつうずみ残して若葉かな」という大変美しい句がある。若葉のころ、緑の世界に富士山だけが高くそびえている絵画的な情景を表している。松尾芭蕉も富士の歌を残した。「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」。霧で富士が見られなかったことも、芭蕉にとっては詩的環境を呼び起こすものだったのだろう。

 富士は「物語の始まり」といわれる「竹取物語」にも登場する。かぐや姫は月の世界に戻る際、不老不死の薬を残したが、帝(みかど)は大勢の武士を日本一高い山に送り、山の上でその薬を焼かせた。その山は「不死」の山になるとともに、大勢の武士が出向いたことで「富士」にもなったという。このほか「伊勢物語」にも富士が出てくる。

 聖徳太子がいかに優れた人物だったかが描かれている「聖徳太子絵伝」にも、富士山が出てくる。また遊行上人の絵巻にも富士山が登場する。絵画に描かれた富士山は3つの峰と白い雪が多く、「三峰型、万年雪」が富士の1つの定型になっていたようだ。

 富士は眺めるだけでなく、信仰の対象でもあった。富士に参詣する動きも早くからあり、「富士参詣曼陀羅」が描かれた。富士は日本人の生活とも結びつき、くしや印ろうといった日常の用具や衣装の模様に使われた。また具足や陣羽織、刀のつばなど、武士の戦闘用具に富士山が描かれていた点も面白い。江戸期の武将は富士を「不死」にかけていたのだろう。信仰と自然に対する鋭敏で優れた感覚が表現されている。

芸術作品が映し出されたスクリーンの前で基調講演する高階秀爾さん
 ヨーロッパの人々が富士を知ったのは江戸期から明治にかけて。ヨーロッパに出た日本の美術品の中では、広重と並んで北斎の作品が人気を集めた。北斎の「富嶽三十六景」はさまざまな場所から見た富士と人間とのかかわりを巧みに描き、思いがけない構図で表現している。富士山だけの姿を堂々と描き出した「凱風快晴」はヨーロッパの人々に特によく知られ、画家モネの絵に影響を与えた。「神奈川沖浪裏」は作曲家ドビュッシーが「海」という交響詩をつくった時、部屋に複製をかけていたことが分かっている。

 これに対し、広重はさまざまな場所の富士山を描き、晩年の「名所江戸百景」では日本橋から見た富士などを描いている。これらの絵からは富士山がまちづくりの1つの目標になっていたことが分かる。

 英国人のオールコックが出した日本の滞在記「大君の都」には、富士山に登る人が挿絵で描かれ、オールコックが富士山に登ったことが分かる。絵画では、横山大観が数多くの富士を描いたことは有名だ。松岡映丘や梅原龍三郎など、近代に至るまで富士の絵は数多い。
高階 秀爾(たかしな・しゅうじ)さん 東大教養学部卒。専門は西洋近代美術史。1971年に芸術選奨文部大臣賞、2000年に紫綬褒章、01年にフランス、レジオン・ドヌールシュヴァリエ勲章、03年にイタリア、グランデ・ウフィチャーレ勲章などを受章。

2008年3月19日付 山梨日日新聞掲載


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