世界遺産「富士山」へ プロジェクト始動
パネルディスカッション
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 パネリスト
松元  宏さん 横浜国立大名誉教授
芹沢 早苗さん 元富士山測候所職員
更谷 慈禧さん 奈良県十津川村長
 コーディネーター
秋岡 栄子さん 経済エッセイスト
意見交換するパネリスト

 秋岡栄子 宝永4(1707)年、富士山の中腹で噴火活動が始まってから300年。富士山と私たちの祖先がどのようにかかわってきたのか、そこでどのように富士山と文化をはぐくんできたのかを考えていきたい。まず、松元さんと芹沢さんに、それぞれの立場から富士山について語ってもらいたい。

 松元宏 富士山が日本だけでなく世界的に大切にされているのは、富士山の景観が多くの人の心に響くからだ。数々の噴火を繰り返し、今の富士山の形態は出来上がった。噴火の中で記録に残っているものは3つ。800年の延暦の噴火、864年の貞観の噴火、そして1707年の宝永の噴火。宝永の噴火はそれまでの規模とはまったく違う大規模な噴火で大きな災害となった。今日の私たちの生活は、災害を乗り越えてきた先人たちの「努力」や「格闘」があってこそ存在するものだ。
 復興に向けた努力が続けられる中で人間と富士山との関係が生じてきた。私たち人間が富士山に働き掛けることによってつくり出されたものこそ富士山の文化であり、こうしたものを世界遺産の価値の1つとして考えるべきではないか。

 芹沢早苗 私は1942−77年まで35年間測候所に勤務し、うち3分の1は山頂で暮らしていた。富士山に登る前は、下界から見上げる富士山を最高にきれいだと思っていたが、富士山の上から自分の住んでいる地球を見たときは、さらに素晴らしい光景が広がっていた。
 写真が好きで、これまで富士山をカメラで撮り続けてきた。山頂では雷を下に聞いたり、影富士を見たりと、富士山の魅力を実感するさまざまな経験をした。キツネ、タヌキ、カモシカ、ヘビにも出合ったことがある。富士山は人間だけでなく、動物にとっても「あこがれの山」なのではないだろうか。
 山頂から美しい東京の夜景が見えるが、戦時中、空襲の際には火の海と化し、戦争の恐ろしさをまざまざと見せつけられたのが忘れられない。当時は、戦争のない平和な世の中を強く願ったものだ。

 噴火からの復興根底に 松元さん
 雄大さを頂上から実感  芹沢さん
 住民理解が登録後押し 更谷さん


 秋岡 富士山が見えない場所に住む更谷さんは、富士山に対してどのような思いを持っているのか。

 更谷慈禧 上京したときなどは、富士山がどこに見えるか、いつも探す。2004年に世界文化遺産となった地元の「紀伊山地の霊場と参詣道」は、歩かないとその価値が分からないが、富士山は見るだけで価値のあるものだ。

 秋岡 宝永噴火で火山灰の堆積(たいせき)などによって田畑が壊滅状態になっても、その地を去らずに富士山とともに暮らしてきた人々の営みがあった。富士山のふもとに住み続ける人たちにとって、富士山はどのような存在だったのか。

 松元 噴火で富士山のふもとは大きな被害を受けた。火山灰や砂など噴火によって吹き出した堆積物を取り除くのは大変な作業だったが、その中で新しい生活や生産手段が生まれていった。
 富士山は信仰の対象となるなど、私たちの心の中に、目には見えない文化をつくり上げてきた。一方で、噴火の被害に遭った地域では目に見える形で田畑の再生や損壊した家の再建が進んだ。その過程や人の営みは、富士山を語る上で切り離せない。

 秋岡 世界文化遺産に登録されると、生活がどのように変わるのかと不安に感じている人も多いと思われる。世界遺産登録の“先輩”として、更谷さんは村民の疑問や不安をどのように解決していったのか。

パネリストの話に熱心に聞き入る来場者=いずれも静岡・御殿場市民会館
 更谷 村民の中には当初、世界遺産に登録されると「自分の山の木が自由に切れなくなるのでは」という不安の声があった。しかし手続きを踏めば伐採することができるということを丁寧に説明していくうちに、反対をしていた人も理解してくれた。
 参詣道は、1300年の歴史がある。長い間、十津川の人々が物資の運搬や“都への道”として通ってきた。そのため人々は石畳を敷いて、歩きやすいように整備してきた。
 世界遺産に登録される前に、古道の整備を村民に呼び掛けた。石畳に積もった土や葉を村民たちは、くわなどを使い手作業で整備してくれた。その道を通ってみると、石畳にくわの跡が点々とつながっていた。その光景を目にして涙が出るほど感動した。村民たちのかかわりがあったからこそ、世界遺産登録されたのではないかと思う。

 秋岡 遺産という言葉を聞くと、昔のものをただ守るというイメージがあるが、世界文化遺産は、過去のものを守るだけではなく、それを未来に伝えていくものだと更谷さんの話を聞いて感じた。

 松元 宝永噴火の後も、この地に残って生活を続けようという地元の人たちの富士山への愛着が文化をつくっていると思う。地元の人たちはこの土地で、営々として富士山とかかわりを持っている。自然との共存だけでなく、自然に働きかけていく行為こそ、文化をつくり出していくものだと思う。
松元 宏(まつもと・ひろし)さん 宮崎県生まれ。1970年、一橋大大学院博士課程修了。81年、横浜国立大経済学部教授。戦前期の日本資本主義研究を追究する傍ら、歴史学研究会などでも活躍。御殿場市史編さん専門委員を務めるなど地方自治体の歴史編さんにも貢献している。
芹沢 早苗(せりざわ・さなえ)さん 静岡県御殿場市生まれ。1942年から77年までの35年間、富士山頂の測候所勤務。85年退官。88年から現在まで、ボランティア活動で多くの青少年に富士山の魅力や四季を通じた自然の素晴らしさを自分で撮りためた写真を使い語り伝えている。
更谷 慈禧(さらたに・よしき)さん 奈良県十津川村生まれ。1969年大阪工業大卒。民間会社に勤務後、72年帰村。家業の林業に従事し、製材業も手掛ける。86年五条青年会議所理事長。90年からは同村教育委員を務める。93年同村助役。2001年4月に同村長に初当選。05年再選。「心身再生の郷」をテーマに2期目の村政を担う。
秋岡 栄子(あきおか・えいこ)さん テレビ、ラジオなど多くのメディアを通して生活に密着した経済情報を発信している。農林水産省食料農業農村政策審議会委員、国土交通省国土審議会専門委員。



2008年2月20日付 山梨日日新聞掲載


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