世界遺産「富士山」へ プロジェクト始動
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学び議論し価値発見を 東大大学院教授 西村 幸夫さん
 国際記念物遺跡会議(ICOMOS)で9年間、約500の世界遺産の候補地について協議してきた。世界遺産を選ぶ際、どのように考え、どういう形で世界遺産が生まれてきたのかを説明したい。

 文化遺産の発祥はエジプトのアブシンベル神殿。ダム造成のため、神殿が水没の危機となり、保存へ国際世論が高まった。世界から募金を集め、神殿を切断して移設した。世界の宝を守るのは当然という意識の高まりが、1972年の世界遺産条約の1つのきっかけになった。

 ICOMOSでは専門家によって世界遺産の評価が行われる。現状の世界遺産の問題点を挙げると、第1に「武力紛争時に無力」であることが挙げられる。第2に「文化遺産と自然遺産の数の不均衡」がある。これは文化の優劣を決めるのは困難なため、文化遺産の方が多くなっている。

 第3としては「地域的な不均衡」。遺産はヨーロッパと北アメリカで約半数に上る。文化遺産の考え方はヨーロッパで生まれたため、ヨーロッパの文化が評価を受けやすい。ヨーロッパでは材料、オリジナルなものが残っていることが重要という考え方が主流。伊勢神宮のように建て替えることで技術を継承することが大事という考え方は、ほとんど議論されてこなかった。

 第4に「文化遺産では『顕著で普遍的な価値』の判断が困難」。第5として「文化遺産の数の増大」。第6に「無形文化の評価が困難」という点がある。世界遺産では無形なものは評価の対象外だが、それを支えている技術や信仰、背景にある民俗をどう評価するかは難しい。

 第7として、1994年に持ち上がった「グローバルストラテジー(世界戦略)」がある。地域的、種別の不均衡を解消するため、新しいアイデアで申請を出すように求められている。

 そうした中で、新しい評価基準で文化を見直す動きが始まっている。第1に「文化的景観」がある。1994年から世界遺産の対象に加わり、日本では2004年の文化財保護法改正で文化的景観も文化財となった。世界遺産で初めて指定されたのはコルディレラの棚田(フィリピン、1995年)。棚田を守るため、耕作し続ける仕組みが評価された。

 第2に「産業遺産」という考え方がある。指定されているもののうち、ブレナボン(イギリス・2000年)は炭鉱施設を博物館として利用。ダージリン・ヒマラヤ鉄道(1999年・インド=2005年にインドの山岳鉄道群と改称)は電車を動かす仕組みが評価された。リートフェルト設計のシュレーテル邸(オランダ、2000年)はレンガ造りからモダニズム建築へ目を開かせた。シュトルーヴェの弧状観測地点(フィンランド他9カ国、2005年)は約3000キロを三角測量した跡。地球の形を測定したことに意義がある。

 第3に「文化の道」。第4として「聖なる山」。これは地形など山そのものという意識ではない。(富士山についても)私たちが考える聖なる山が世界でどれだけ特別なのかを示すことが必要だ。新しい価値を世界の現象の中に見つけていく方向へ、世界遺産の考え方が変わりつつある。残すべき文化遺産とは何かを考え直す時期に来ている。

 日本の暫定リストでは、1992年に法隆寺、京都、奈良、鎌倉、姫路城、彦根城、厳島神社、日光、合掌造り、沖縄を挙げ、8つが認定された。1995年には原爆ドーム。2001年に改訂され、石見銀山、熊野古道、平泉が選ばれた。

 今年の新規改訂では、各地域の申請をもとに国が審査することになった。富士山が申請第1号。ただ、世界遺産になることだけに意味があるわけではない。石見銀山では銀山、集落、街道、港、城、全体のシステムが見直された。まさに発想の転換。今、石見銀山では申請後、地域をどう守っていくか、盛んに議論されている。自分たちも学び、大事にしていこうと動き出している。

 これを機に何が大事で、それを磨くためにはどうしたらいいのかを考えることの方が大切。指定されると規制が厳しくなるとか、そういう議論しかされないのは寂しい。故郷に今まで見いだせなかった幅広い価値を見いだすことが重要。そのためにも議論を続けていきたい。
西村 幸夫(にしむら・ゆきお)さん 東大大学院教授。同大工学部卒業後、同大大学院修了。アジア工科大助教授、国際記念物遺跡会議(ICOMOS)副会長などを歴任。富士山世界文化遺産山梨県・2県学術委員会委員。

2006年12月2日付 山梨日日新聞掲載


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